下記「上田秋成が大坂で知り合った人々」の講演を、昨日行いました。
大阪市立中央図書館、大会議室。
150名ほどの参加者がいた模様。
パワーポイントで、50くらいのスライドを用意して2時間(途中10分休憩)、妻の瑚l尼、師の加藤宇万伎、友人の木村蒹葭堂、そして長い付き合いの中井竹山・履軒兄弟との文芸を通しての交わりを話した。
驚いたのが聴衆の方の質問やご意見のレベルの高さ。
秋成自筆の軸をお持ちになり、「自筆でいいでしょうか?」と尋ねる方、
「香具波志神社の資料調査をやっているんですが、あそこの資料は…」とおっしゃる方、
木村蒹葭堂邸跡の正確な位置を教えてくださる方、
蕪村と秋成の交友を小説に書きたいのですが…、とおっしゃる方、
高田衛先生の説を紹介し、私の見解をただす方。
ひえええ。
この文化度、この教養。恐るべし、大阪市民。
こちらが勉強になった、貴重な時間でした。ありがとうございます。
2013年07月21日
2012年11月16日
鹿田松雲堂 五代のあゆみ
四元弥寿著、柏木隆雄・山本和明・山本はるみ・四元大計視・飯倉洋一編『なにわ古書肆鹿田松雲堂 五代のあゆみ』(和泉書院、2012年11月)がいよいよ刊行される(編者は実際の本では五十音順に並んでいるが、なんとなく申しわけない)。
鹿田松雲堂は、江戸時代から続く、関西を代表する古書肆であった。沖森書店も中尾松泉堂もここから出ている(その概説については、故中尾堅一郎氏の「大阪古典書肆。鹿田松雲堂」『文学』1981年12月号を参照されたい)。四元弥寿さんは鹿田松雲堂四代静七の娘である。平成22年逝去。弥寿さんは、鹿田代々の事跡を調べて、後世に伝えようとした。その文章(「五代のあゆみ」)が、弥寿さんの娘さんである山本はるみさんによってパソコンに入力され、弥寿さん五十日祭を期して冊子として配られた。それを元に関係資料などを併せて出版されたのが今回の本である。
きっかけは、山本はるみさんの大学(大阪大学文学部)の同期生である柏木隆雄先生が、この冊子を読まれたことからはじまった。日頃何かと気にかけてくださる先生は、飯倉も興味をもつかもしれないと、はるみさんから私宛てに送るように手配してくださった。山本はるみさんの弟さんである四元大計視さんの御宅に、現在も大切に鹿田松雲堂の資料が残されているということから、その資料の目録を作るお手伝いを同僚の合山林太郎さんや学生たちとさせていただくことになった。柏木先生も指揮をとってくださったが、その調査の過程で、「五代のあゆみ」を基本に、松雲堂の歴史を立体的に再現するために、いろいろな資料を付して本として出版すれば、学術的にも大いに意義があるだろうということになり、様々なアイデアを出しては修正し、和泉書院の上方文庫の一冊として出していただくことになった。この間に、近代の出版に高い見識を持っておられる畏友山本和明氏を巻き込んで、結局、柏木先生と山本和明氏、そして山本はるみさんの熱意で、今回の本が成った。編者として私の名前は載っているが、若干の資料の選択と、たった一つの資料の翻刻そして年表作成をしたくらいであるので恐縮至極。合山さんや、山本さんをひきいれたことは、まあ私の手柄だが(笑)。
序にあたる文章である肥田晧三先生(今回、様々なご教示をいただいた)の「鹿田松雲堂と私」を冒頭に戴き、本の出来た経緯を柏木先生が書かれたあと、メインの弥寿さんの「五代のあゆみ」が来る。編者らが事実との照合などをし、柏木先生が中心となって文章を整えた。全体を年表としてまとめてもみた。山本和明さん、山本はるみさんの、「ダブル山本」が大活躍したのが資料編である。三代目の日記などは研究者垂涎の資料ではないか?多くの資料・写真が割愛された。関係者からのご親切なお申し出もあったのだが、限られた紙幅の中で、涙を呑んで収載しなかったものもある。しかし、本書を契機に、さらに資料が精査され、松雲堂の文化史的役割が明らかになっていくことだろう。多くの方のご協力で、本書は成った。すべての方に謝意を表したい。そして出版を引き受けてくださった和泉書院にも心より御礼申し上げます。
鹿田松雲堂は、江戸時代から続く、関西を代表する古書肆であった。沖森書店も中尾松泉堂もここから出ている(その概説については、故中尾堅一郎氏の「大阪古典書肆。鹿田松雲堂」『文学』1981年12月号を参照されたい)。四元弥寿さんは鹿田松雲堂四代静七の娘である。平成22年逝去。弥寿さんは、鹿田代々の事跡を調べて、後世に伝えようとした。その文章(「五代のあゆみ」)が、弥寿さんの娘さんである山本はるみさんによってパソコンに入力され、弥寿さん五十日祭を期して冊子として配られた。それを元に関係資料などを併せて出版されたのが今回の本である。
きっかけは、山本はるみさんの大学(大阪大学文学部)の同期生である柏木隆雄先生が、この冊子を読まれたことからはじまった。日頃何かと気にかけてくださる先生は、飯倉も興味をもつかもしれないと、はるみさんから私宛てに送るように手配してくださった。山本はるみさんの弟さんである四元大計視さんの御宅に、現在も大切に鹿田松雲堂の資料が残されているということから、その資料の目録を作るお手伝いを同僚の合山林太郎さんや学生たちとさせていただくことになった。柏木先生も指揮をとってくださったが、その調査の過程で、「五代のあゆみ」を基本に、松雲堂の歴史を立体的に再現するために、いろいろな資料を付して本として出版すれば、学術的にも大いに意義があるだろうということになり、様々なアイデアを出しては修正し、和泉書院の上方文庫の一冊として出していただくことになった。この間に、近代の出版に高い見識を持っておられる畏友山本和明氏を巻き込んで、結局、柏木先生と山本和明氏、そして山本はるみさんの熱意で、今回の本が成った。編者として私の名前は載っているが、若干の資料の選択と、たった一つの資料の翻刻そして年表作成をしたくらいであるので恐縮至極。合山さんや、山本さんをひきいれたことは、まあ私の手柄だが(笑)。
序にあたる文章である肥田晧三先生(今回、様々なご教示をいただいた)の「鹿田松雲堂と私」を冒頭に戴き、本の出来た経緯を柏木先生が書かれたあと、メインの弥寿さんの「五代のあゆみ」が来る。編者らが事実との照合などをし、柏木先生が中心となって文章を整えた。全体を年表としてまとめてもみた。山本和明さん、山本はるみさんの、「ダブル山本」が大活躍したのが資料編である。三代目の日記などは研究者垂涎の資料ではないか?多くの資料・写真が割愛された。関係者からのご親切なお申し出もあったのだが、限られた紙幅の中で、涙を呑んで収載しなかったものもある。しかし、本書を契機に、さらに資料が精査され、松雲堂の文化史的役割が明らかになっていくことだろう。多くの方のご協力で、本書は成った。すべての方に謝意を表したい。そして出版を引き受けてくださった和泉書院にも心より御礼申し上げます。
2012年10月14日
拙稿の訂正
このたび『日本文学』10月号の、「領域の横断と展開―近世文芸を「仕分け」る―」という特集に「近世文学の一領域としての「奇談」」という拙稿を載せていただきましたが、相変わらずの粗忽で、大きな誤りを犯しております。この場をお借りしておわびし、訂正いたします。
25頁下段に、ツッコミどころ満載の、怪しげな図を掲げていますが、この中で「洒落本(中)」と書いているのは、(小)の誤りです。( )内は本の大きさですが、洒落本の大多数はいうまでもなく小本ですから。
32頁下段の最終行。「方法を用いたものであることは、『雑篇田舎荘子』の、」は、「方法を用いたものである。『雑篇田舎荘子』の、」と訂正。
本稿は、これまで書いた「奇談」に関する論文の切り張りっぽいもので、二番煎じのそしりを免れませんが、現段階でのまとめで、少し新しいことも書いています。ご寛恕たまわりますよう。
25頁下段に、ツッコミどころ満載の、怪しげな図を掲げていますが、この中で「洒落本(中)」と書いているのは、(小)の誤りです。( )内は本の大きさですが、洒落本の大多数はいうまでもなく小本ですから。
32頁下段の最終行。「方法を用いたものであることは、『雑篇田舎荘子』の、」は、「方法を用いたものである。『雑篇田舎荘子』の、」と訂正。
本稿は、これまで書いた「奇談」に関する論文の切り張りっぽいもので、二番煎じのそしりを免れませんが、現段階でのまとめで、少し新しいことも書いています。ご寛恕たまわりますよう。
2012年06月26日
雅俗・上文
復刊『雅俗』(11号、2012年6月)は好調な滑り出しらしい。閑山子余録に詳しいレポートがある。
私も、依頼されて、「江戸文・雅俗・上文」というエッセイを書いた。自分の研究履歴を振り返って書けとの恐ろしい注文だったのだが、振り返るほどの研究もしていないので、関わった研究同人誌のことを書かせていただいた次第である。『雅俗』を創るときは『江戸文』を意識していたし、『上文』を創る時は『雅俗』を意識していた。創る以上は、研究史に寄与する論文・資料紹介を掲載する雑誌でありたいと願うわけだが、いずれもそれは果たしてきたと思う。
復刊された『雅俗』は、判型を大きくし、『上文』に近い。刊行時期も近い。内容も高いレベルで競い合いたいものである。
『上方文藝研究』第9号(2012年6月)も刊行。巻頭の浅田徹氏「近世歌壇史のための覚書」は、今年3月の科研研究会でのご報告を活字化していただいたもので、早くも「近世歌壇史がはじめて見通せた」という激賞の評をさる方からいただいている。連載エッセイは装いも新たに「上方文藝への招待」と題して、著書・展示・報告書などの紹介を行っていく。今回はフィリピン大のウマリ氏のフィリピンにおける日本芸能公演の試みのレポートと根来尚子氏の柿衞文庫での「神医と秋成」展レポートである。他7編の論考を収める。来年でいよいよ10号である。
私も、依頼されて、「江戸文・雅俗・上文」というエッセイを書いた。自分の研究履歴を振り返って書けとの恐ろしい注文だったのだが、振り返るほどの研究もしていないので、関わった研究同人誌のことを書かせていただいた次第である。『雅俗』を創るときは『江戸文』を意識していたし、『上文』を創る時は『雅俗』を意識していた。創る以上は、研究史に寄与する論文・資料紹介を掲載する雑誌でありたいと願うわけだが、いずれもそれは果たしてきたと思う。
復刊された『雅俗』は、判型を大きくし、『上文』に近い。刊行時期も近い。内容も高いレベルで競い合いたいものである。
『上方文藝研究』第9号(2012年6月)も刊行。巻頭の浅田徹氏「近世歌壇史のための覚書」は、今年3月の科研研究会でのご報告を活字化していただいたもので、早くも「近世歌壇史がはじめて見通せた」という激賞の評をさる方からいただいている。連載エッセイは装いも新たに「上方文藝への招待」と題して、著書・展示・報告書などの紹介を行っていく。今回はフィリピン大のウマリ氏のフィリピンにおける日本芸能公演の試みのレポートと根来尚子氏の柿衞文庫での「神医と秋成」展レポートである。他7編の論考を収める。来年でいよいよ10号である。
2012年05月09日
ふらんすの北斎漫画
この1月に縁あって、ニースのシェレ美術館所蔵の『北斎漫画』15編15冊の調査のお手伝いをした。その調査報告が柏木加代子・飯倉洋一「ニース・シェレ美術館所蔵『北斎漫画』についての調査報告」(「京都市立芸術大学美術学部、2012年3月)としてまとめられた。
三編に「北遊斎」なるものの書き入れがあり、「すわ!自筆書き入れ?」とニースの関係者から、調査鑑定を依頼された柏木加代子先生が、研究プロジェクトの連携研究者(調査要員)として私に声をかけてくださったのが、ことのはじまりだった。
残念ながら、自筆書き入れ本ではなかったものの、伝来系統、旧所蔵者など興味深い事実が明らかになってきた。なかでも、注目すべきは15編(北斎死後に出版されたもの)で、これは表紙を欠くが、こよりで仮綴じされており、扉の表題の部分が、本来「北斎漫画十五編」とあるはずのところ、まったく彫られておらず木目が見える。どうも見本刷のようである(収集者もそれを認識している)が、他に伝本はあるのだろうか?見本刷であれば、そんなに部数はないはずで、稀覯本だと思われる。永田生慈氏の北斎漫画についての書誌的な論考をみたが、見本刷の話は出てこない。しかし絵本研究に疎いので見落としているかもしれない。
その他の編も、取り合わせ本とはいえ、目利きの収集家が集めたのではないかと思われる。12編は色刷ではなく、初刷かと思われる墨刷。だが何分北斎漫画の伝本調査など、とても無理なので、広くご教示を乞いたいところである。
三編に「北遊斎」なるものの書き入れがあり、「すわ!自筆書き入れ?」とニースの関係者から、調査鑑定を依頼された柏木加代子先生が、研究プロジェクトの連携研究者(調査要員)として私に声をかけてくださったのが、ことのはじまりだった。
残念ながら、自筆書き入れ本ではなかったものの、伝来系統、旧所蔵者など興味深い事実が明らかになってきた。なかでも、注目すべきは15編(北斎死後に出版されたもの)で、これは表紙を欠くが、こよりで仮綴じされており、扉の表題の部分が、本来「北斎漫画十五編」とあるはずのところ、まったく彫られておらず木目が見える。どうも見本刷のようである(収集者もそれを認識している)が、他に伝本はあるのだろうか?見本刷であれば、そんなに部数はないはずで、稀覯本だと思われる。永田生慈氏の北斎漫画についての書誌的な論考をみたが、見本刷の話は出てこない。しかし絵本研究に疎いので見落としているかもしれない。
その他の編も、取り合わせ本とはいえ、目利きの収集家が集めたのではないかと思われる。12編は色刷ではなく、初刷かと思われる墨刷。だが何分北斎漫画の伝本調査など、とても無理なので、広くご教示を乞いたいところである。
2012年04月05日
「近世風俗文化学の形成」の報告書完成
国文学研究資料館公募共同研究『近世風俗文化学の形成―忍頂寺務草稿および旧蔵書とその周辺』(同プロジェクト編、国文学研究資料館発行、2012年3月)が遂に刊行の運びとなりました。
2008年度にはじまったこのプロジェクト、大阪大学と国文学研究資料館の研究連携事業である「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」(2005年度スタート)と密接な関係を持ちながら、調査・研究会・シンポジウムを重ね、昨年は『忍頂寺文庫目録』の完成にも寄与したが、ようやく報告書をまとめることができた。A4判総ページ数666頁。収まりきれない情報はCDROMにおさめた。
5部構成となっており、第1部が「忍頂寺務 その人と著述」。福田安典さんの評伝、福田さん・青田寿美さん・尾崎千佳さんによる年譜データベース、肥田晧三先生の「忍頂寺務の著作を集める」(講演記録)、そして肥田先生・近衞典子さんによる著述目録である。
第2部は、2010年秋に行われたシンポジウムの記録。武井協三先生の基調講演に、内田さん、福田さんの報告、そして質疑応答を収める。
第3部は、論文・報告編で、鷲原知良・飯倉洋一・高橋則子・川端咲子・山本和明・近衞典子各氏の執筆。そして務の実孫であられれる忍頂寺晃嗣さんへのインタビュー聞書。
第4部が圧巻で、忍頂寺務宛書簡目録と解題220頁。内田宗一さん渾身の研究成果である。次の蔵書印一覧も、旧蔵書悉皆調査に基づく青田寿美さん執念の報告。
第5部は、研究者垂涎の務自筆稿本『近代歌謡考説』と『訪書雑録』を初公開。
これまで、共同研究員は、忍頂寺文庫研究の成果をいろんなところで発表してきたが、それらの再録は、肥田先生のご講演を除いてひとつもない。すべて報告書オリジナルである。
このプロジェクトを牽引してこられた福田さん、膨大な事務手続き、編集作業に従事してくださった青田さん、献身的な書簡調査を数年にわたってつづけてこられた内田さんには、特に篤くお礼申し上げたい。
666頁という分量があまりに多く、一時は出版できない状況にも追い込まれたが、青田さんの不屈の編集魂と、国文研のご理解で、なんとか出版にこぎつけたのは本当に感慨深い。印刷の質がちょっとと思われるむきもあろうが、これはひとえに予算内に収めるための措置である。お許しいただきたい。本研究にご協力をたまわったすべての方に御礼申し上げます。
ちなみに私の報告「『近代歌謡考説』とその周辺」は、『近代歌謡考説』の出版(これは頓挫しましたが)に、中村幸彦先生がご尽力されていたことを、務宛書簡数通を使って考証した部分が中心。
2008年度にはじまったこのプロジェクト、大阪大学と国文学研究資料館の研究連携事業である「忍頂寺文庫・小野文庫の研究」(2005年度スタート)と密接な関係を持ちながら、調査・研究会・シンポジウムを重ね、昨年は『忍頂寺文庫目録』の完成にも寄与したが、ようやく報告書をまとめることができた。A4判総ページ数666頁。収まりきれない情報はCDROMにおさめた。
5部構成となっており、第1部が「忍頂寺務 その人と著述」。福田安典さんの評伝、福田さん・青田寿美さん・尾崎千佳さんによる年譜データベース、肥田晧三先生の「忍頂寺務の著作を集める」(講演記録)、そして肥田先生・近衞典子さんによる著述目録である。
第2部は、2010年秋に行われたシンポジウムの記録。武井協三先生の基調講演に、内田さん、福田さんの報告、そして質疑応答を収める。
第3部は、論文・報告編で、鷲原知良・飯倉洋一・高橋則子・川端咲子・山本和明・近衞典子各氏の執筆。そして務の実孫であられれる忍頂寺晃嗣さんへのインタビュー聞書。
第4部が圧巻で、忍頂寺務宛書簡目録と解題220頁。内田宗一さん渾身の研究成果である。次の蔵書印一覧も、旧蔵書悉皆調査に基づく青田寿美さん執念の報告。
第5部は、研究者垂涎の務自筆稿本『近代歌謡考説』と『訪書雑録』を初公開。
これまで、共同研究員は、忍頂寺文庫研究の成果をいろんなところで発表してきたが、それらの再録は、肥田先生のご講演を除いてひとつもない。すべて報告書オリジナルである。
このプロジェクトを牽引してこられた福田さん、膨大な事務手続き、編集作業に従事してくださった青田さん、献身的な書簡調査を数年にわたってつづけてこられた内田さんには、特に篤くお礼申し上げたい。
666頁という分量があまりに多く、一時は出版できない状況にも追い込まれたが、青田さんの不屈の編集魂と、国文研のご理解で、なんとか出版にこぎつけたのは本当に感慨深い。印刷の質がちょっとと思われるむきもあろうが、これはひとえに予算内に収めるための措置である。お許しいただきたい。本研究にご協力をたまわったすべての方に御礼申し上げます。
ちなみに私の報告「『近代歌謡考説』とその周辺」は、『近代歌謡考説』の出版(これは頓挫しましたが)に、中村幸彦先生がご尽力されていたことを、務宛書簡数通を使って考証した部分が中心。
2012年03月28日
履軒秋成合賛鶉図について書きました。
柿衞文庫の「神医と秋成」展も終了したが、どれくらい入場者があったのかしらん。そこでのゲスト展示のひとつだったのが、このブログでも何度か紹介した、中井履軒上田秋成合賛鶉図である。昨年77年ぶりに出現、懐徳堂記念会に寄贈されたものである。
これについては昨年11月の懐徳堂アーカイブ講座で、美術史の濱住真有さん、中国哲学の池田光子さんとともに、詳細な紹介および展示解説をしたのであるが、それをほぼ活字化したのが、飯倉洋一・濱住真有「中井履軒・上田秋成合賛鶉図について」(『懐徳堂研究』第3号、2012年2月)である。
この鶉図の両者の賛は、本紙のまわりの中回しに、またぐように書かれているところが珍しい。鶉は不常住の象徴。履軒も秋成も頻繁に引っ越しをしているところで、秋成など「鶉居」の号があるくらい。鶉の気持ちがよくわかるとばかりの賛である。
共著者の濱住さんは大阪大学の日本東洋美術史研究室の助教さんで大雅の研究者。この画賛については美術史の奥平俊六先生・橋爪節也先生にいろいろとおそわったのだが、その時濱住さんも同席、写真撮影などされていたが、さらに濱住さんは「もう少し調べてご報告します」と言われ、しばらくして膨大な資料を抱えて来られ、詳細にいろいろと説明してくださった。だが、あまりにも詳しく、また専門的でもあったので、こりゃ私では消化しきれんわと思い、いっそ共著でお願いできないかとお誘いしたところ、ご快諾を得たという次第である。おかげで絵の部分の説明が、素人説明でなくなってありがたかった。
ちなみに『懐徳堂研究』は、大阪大学文学研究科懐徳堂研究センターの出している雑誌。ちなみに口絵は鶉図のカラー写真。
ちなみに、抜刷は、まだごく一部の方にしかお渡ししていません(スミマセン。最近送るのさぼっています)。
これについては昨年11月の懐徳堂アーカイブ講座で、美術史の濱住真有さん、中国哲学の池田光子さんとともに、詳細な紹介および展示解説をしたのであるが、それをほぼ活字化したのが、飯倉洋一・濱住真有「中井履軒・上田秋成合賛鶉図について」(『懐徳堂研究』第3号、2012年2月)である。
この鶉図の両者の賛は、本紙のまわりの中回しに、またぐように書かれているところが珍しい。鶉は不常住の象徴。履軒も秋成も頻繁に引っ越しをしているところで、秋成など「鶉居」の号があるくらい。鶉の気持ちがよくわかるとばかりの賛である。
共著者の濱住さんは大阪大学の日本東洋美術史研究室の助教さんで大雅の研究者。この画賛については美術史の奥平俊六先生・橋爪節也先生にいろいろとおそわったのだが、その時濱住さんも同席、写真撮影などされていたが、さらに濱住さんは「もう少し調べてご報告します」と言われ、しばらくして膨大な資料を抱えて来られ、詳細にいろいろと説明してくださった。だが、あまりにも詳しく、また専門的でもあったので、こりゃ私では消化しきれんわと思い、いっそ共著でお願いできないかとお誘いしたところ、ご快諾を得たという次第である。おかげで絵の部分の説明が、素人説明でなくなってありがたかった。
ちなみに『懐徳堂研究』は、大阪大学文学研究科懐徳堂研究センターの出している雑誌。ちなみに口絵は鶉図のカラー写真。
ちなみに、抜刷は、まだごく一部の方にしかお渡ししていません(スミマセン。最近送るのさぼっています)。
2012年01月20日
忍頂寺務共同研究が集大成へ
国文学研究資料館の公募研究「近世風俗文化学の形成―忍頂寺務草稿および旧蔵書とその周辺」(研究代表者・飯倉)の報告書作成が最終段階に入っている。国文研のAさんの献身的な編集作業の賜物で、いい報告書になりそうだ。このプロジェクトは私が研究代表者だが、メンバーの熱意がすごくで、私はもう見ているだけという感じ。
未刊に終わった忍頂寺務の著書2冊の翻刻や、1000通を超す忍頂寺務宛書簡の紹介(これが錚々たるメンバー)、務の評伝、詳細な年譜、肥田晧三先生の講演に、プロジェクト総決算のシンポジウム記録などが満載である。
A4で680頁にCD付という大部のものになる予定。ご関心のある向きはあらかじめご一報を。
未刊に終わった忍頂寺務の著書2冊の翻刻や、1000通を超す忍頂寺務宛書簡の紹介(これが錚々たるメンバー)、務の評伝、詳細な年譜、肥田晧三先生の講演に、プロジェクト総決算のシンポジウム記録などが満載である。
A4で680頁にCD付という大部のものになる予定。ご関心のある向きはあらかじめご一報を。
2011年12月13日
初めてです
初めてです。画賛について論文を書くのは…。
初めてです。共著で論文を書くのは…。(あ、目録だったら、先般奥付より半年以上遅れて刊行された、某機構某館の報告書に6人共著で書きましたし、翻刻だったら、やはり某報告書に学生と一緒にしたことがありやす)。
初めてです。口絵に関係写真をカラーで載せてもらえるのは…(あ、自分で作った科研報告書にはそれやったことがありやす)。
というわけで、初校が本日来ました。初校の段階でここに書くのも…、初めてなんです。
何についての論文かというと、何度もこのブログで触れている中井履軒・上田秋成合賛の鶉図についてです。出来たらまた報告しやす。共著のお相手の御専門は日本美術史なのです。私は賛について、お相手は鶉の画について書いた。
前半と後半を分けて書いているのだが、それでも整合性とか統一性とかあるので、いろいろ話し合った。で、いろいろ勉強させてもらった。共著というのは勉強になりやすね。
初めてです。共著で論文を書くのは…。(あ、目録だったら、先般奥付より半年以上遅れて刊行された、某機構某館の報告書に6人共著で書きましたし、翻刻だったら、やはり某報告書に学生と一緒にしたことがありやす)。
初めてです。口絵に関係写真をカラーで載せてもらえるのは…(あ、自分で作った科研報告書にはそれやったことがありやす)。
というわけで、初校が本日来ました。初校の段階でここに書くのも…、初めてなんです。
何についての論文かというと、何度もこのブログで触れている中井履軒・上田秋成合賛の鶉図についてです。出来たらまた報告しやす。共著のお相手の御専門は日本美術史なのです。私は賛について、お相手は鶉の画について書いた。
前半と後半を分けて書いているのだが、それでも整合性とか統一性とかあるので、いろいろ話し合った。で、いろいろ勉強させてもらった。共著というのは勉強になりやすね。
2011年06月18日
まとめていろいろ
書くべきことがたくさんある。しかしちょっと時間がないので、本来いくつかのエントリーで書くべきことを、まとめて書いてしまいます。乞御寛恕。
まず、『西鶴と浮世草子研究』第5号(2011年6月)が刊行された。原道生・河合眞澄・倉員正江の三氏編。見世物研究の川添裕氏を招いての座談会は、最新の研究を踏まえて浮世草子と芸能の関係を明らかにする。この雑誌は最終号であり、それを意識して研究誌研究メディアについてのエッセイ数編が載る。染谷智幸・倉員正江・篠原進の本誌編集側に、木越治・川平敏文と私。ちなみに私は「逆境こそチャンス」と題して書いた。文学研究の危機―なんとかしなければならないとみんなが思っているこの状況はチャンスとも捉えうると。楽観主義と笑わば笑えってとこである。
『上方文藝研究』第8号(2011年6月)。こちらは私どもが出している研究同人誌であるが、今号は100頁を越えて面目を保ったというところだろう。島津忠夫先生の「宗因と正方」冒頭に、尾崎千佳氏の「談林六世像賛」という新資料の紹介と考証、福田安典氏の忍頂寺務論、鷲原知良氏の忍頂寺聴松宛遠山雲如書簡の紹介考証、浅田徹氏の小澤蘆庵歌観に関わる資料紹介と考察、一戸渉氏の秋成新資料紹介考証、山崎淳氏の蓮体資料紹介考証…と、貴重な資料紹介が多いのが特徴。なお連載の「上方文藝研究の現在」は、最終回で上方文藝研究の会、すなわち本誌の母体である研究会を紹介した。こちらは本誌創刊の提案をした私が書いた。
同じ判型の徳田武氏率いる『江戸風雅』四号には、徳田氏の「血かたびら」の典拠論が載っていた。これとは別に木越治氏のブログによれば東京の秋成研究会の「血かたびら」の輪講では新見がいろいろと出たらしく、今後の論文化が楽しみである。
そういえばこの研究会にも出席している井上泰至氏の活躍が相変わらずである。『秀吉の対外戦争―変容する語りとイメージ』(笠間書院、2011年6月)という、金時徳氏とのユニークな共著を出している。「前近代日朝の言説空間」の副題を持つ本書は、今秋の日本近世文学会韓国大会に向けてタイムリーである。お二人の対談もあり。ちょうどこの話題はシンポジウムで金時徳氏の師である崔官さんが報告することになっている。私も『絵本太閤記』という作品のことをちょっと朝幕関係と絡めて考えたことがあって、井上さんがそれを引いてくれていたのは恐縮至極。まだあるけど続きはまた。
まず、『西鶴と浮世草子研究』第5号(2011年6月)が刊行された。原道生・河合眞澄・倉員正江の三氏編。見世物研究の川添裕氏を招いての座談会は、最新の研究を踏まえて浮世草子と芸能の関係を明らかにする。この雑誌は最終号であり、それを意識して研究誌研究メディアについてのエッセイ数編が載る。染谷智幸・倉員正江・篠原進の本誌編集側に、木越治・川平敏文と私。ちなみに私は「逆境こそチャンス」と題して書いた。文学研究の危機―なんとかしなければならないとみんなが思っているこの状況はチャンスとも捉えうると。楽観主義と笑わば笑えってとこである。
『上方文藝研究』第8号(2011年6月)。こちらは私どもが出している研究同人誌であるが、今号は100頁を越えて面目を保ったというところだろう。島津忠夫先生の「宗因と正方」冒頭に、尾崎千佳氏の「談林六世像賛」という新資料の紹介と考証、福田安典氏の忍頂寺務論、鷲原知良氏の忍頂寺聴松宛遠山雲如書簡の紹介考証、浅田徹氏の小澤蘆庵歌観に関わる資料紹介と考察、一戸渉氏の秋成新資料紹介考証、山崎淳氏の蓮体資料紹介考証…と、貴重な資料紹介が多いのが特徴。なお連載の「上方文藝研究の現在」は、最終回で上方文藝研究の会、すなわち本誌の母体である研究会を紹介した。こちらは本誌創刊の提案をした私が書いた。
同じ判型の徳田武氏率いる『江戸風雅』四号には、徳田氏の「血かたびら」の典拠論が載っていた。これとは別に木越治氏のブログによれば東京の秋成研究会の「血かたびら」の輪講では新見がいろいろと出たらしく、今後の論文化が楽しみである。
そういえばこの研究会にも出席している井上泰至氏の活躍が相変わらずである。『秀吉の対外戦争―変容する語りとイメージ』(笠間書院、2011年6月)という、金時徳氏とのユニークな共著を出している。「前近代日朝の言説空間」の副題を持つ本書は、今秋の日本近世文学会韓国大会に向けてタイムリーである。お二人の対談もあり。ちょうどこの話題はシンポジウムで金時徳氏の師である崔官さんが報告することになっている。私も『絵本太閤記』という作品のことをちょっと朝幕関係と絡めて考えたことがあって、井上さんがそれを引いてくれていたのは恐縮至極。まだあるけど続きはまた。
2011年06月13日
妙法院宮を談じて和本リテラシーに及ぶ
11・12日は日本近世文学会が日本大学で開催された。散人は事務局を務めている関係で、全発表を聴かせていただいた。これはちょっとお、と思われる発表もあったが、全体としては内容のある研究発表会であった。特に質問者に、いい発言・指摘が目立っていたと思う。
大会運営をスムースに進めることができたのは、ひとえに日本大学のスタッフの皆さんの御蔭であり、心より感謝申し上げます。
また、学会は情報交換の場でもある。いろいろな方に、本や報告書や抜刷をいただいた。学科発表とともに、触れたいものがたくさんあるのだが、次のエントリー以降にさせていただきたい。これからしばらく続くかも。
さて、今日は、立命館大学文学部と大阪大学21世紀懐徳堂がタイアップして企画した社会人向け講座の講師を務めた。場所は梅田の北側、地下鉄梅田駅下車3分、富国生命ビル5Fの立命館大学大阪校である。東京会場にもネット中継(?)されていて、質問も受けられる仕組みである。「妙法院宮文芸サロン―異色の親王とその周囲の人々」と題して真仁法親王とその周辺のことを話す。法親王が蘆庵の幽居をたずねるあたりは中野稽雪さんの『小沢蘆庵』。秋成が蟹の絵を賜って感激するくだりは『春雨梅花歌文巻』、そして宣長の古事記伝が天覧されるにいたるに果たした妙法院宮とその周辺の人々の働き。これは時間軸に沿って説明。
アンケートによれば、楽しかったという意見もあって、予想以上に好反応であった。当初予定していたパワーポイントは使わずプリントだけ。手元に資料が残ることを好まれる方もいるので、結果はこれでよかったようである。映像は使わないかわりに、真仁法親王と秋成筆の短冊を持っていった。並べるとすぐにたくさんの人が集まった。ある方が「何と書いているんですが?」と質問する。おお、キタキタ。
「これが読めれば楽しいと思いませんか? 小学生のころにくずし字が読めるように教育すれば、展覧会で字が読めたりして、大人になっても楽しいですよね」というと、皆さん深くうなずく。ミニ和本リテラシー講座。まあ、小さいことからコツコツとってわけで、やってるわけなんです。
*「調査の悦び」にコメントをくださった方。メールアドレスを書いておいてくだされば、個人的にご連絡します。公にお答えするのはいろいろと難しいご質問です。
大会運営をスムースに進めることができたのは、ひとえに日本大学のスタッフの皆さんの御蔭であり、心より感謝申し上げます。
また、学会は情報交換の場でもある。いろいろな方に、本や報告書や抜刷をいただいた。学科発表とともに、触れたいものがたくさんあるのだが、次のエントリー以降にさせていただきたい。これからしばらく続くかも。
さて、今日は、立命館大学文学部と大阪大学21世紀懐徳堂がタイアップして企画した社会人向け講座の講師を務めた。場所は梅田の北側、地下鉄梅田駅下車3分、富国生命ビル5Fの立命館大学大阪校である。東京会場にもネット中継(?)されていて、質問も受けられる仕組みである。「妙法院宮文芸サロン―異色の親王とその周囲の人々」と題して真仁法親王とその周辺のことを話す。法親王が蘆庵の幽居をたずねるあたりは中野稽雪さんの『小沢蘆庵』。秋成が蟹の絵を賜って感激するくだりは『春雨梅花歌文巻』、そして宣長の古事記伝が天覧されるにいたるに果たした妙法院宮とその周辺の人々の働き。これは時間軸に沿って説明。
アンケートによれば、楽しかったという意見もあって、予想以上に好反応であった。当初予定していたパワーポイントは使わずプリントだけ。手元に資料が残ることを好まれる方もいるので、結果はこれでよかったようである。映像は使わないかわりに、真仁法親王と秋成筆の短冊を持っていった。並べるとすぐにたくさんの人が集まった。ある方が「何と書いているんですが?」と質問する。おお、キタキタ。
「これが読めれば楽しいと思いませんか? 小学生のころにくずし字が読めるように教育すれば、展覧会で字が読めたりして、大人になっても楽しいですよね」というと、皆さん深くうなずく。ミニ和本リテラシー講座。まあ、小さいことからコツコツとってわけで、やってるわけなんです。
*「調査の悦び」にコメントをくださった方。メールアドレスを書いておいてくだされば、個人的にご連絡します。公にお答えするのはいろいろと難しいご質問です。
2011年01月19日
大高さん著書の書評
『図書新聞』1月22日号に、大高洋司氏『京伝と馬琴〈稗史もの〉読本様式の形成〉』についての私の書評が掲載されました(日付よりも早く刊行されるようで)。
2011年01月08日
秋成の晩年と演劇
『近松研究所紀要』第21号(2011年12月)に、拙稿「秋成の晩年と浄瑠璃」を載せていただいた。このブログでもちょっと書いたことがあるが、僭越にも厚顔にも恥ずかしながら近松研究所の役員のようなことをやっているので、「演劇に関わる」論文を書きなさいとI所長に夏休の宿題を与えられて書いたものである。まことに汗顔の至りとはこのことである。
まえから書きたいネタがひとつだけあった。秋成が『胆大小心録』で中井竹山を茶化しているところがある。これが『ひらかな盛衰記』を踏まえてますよ〜ということ。しかしそれだけで論文になるわけがない。そこで『春雨物語』の中の通俗的と言われている部分を、浄瑠璃の摂取か流れ込みと読んでみた。
すでに先学がいろいろと言っていることにのっかっているところが多いのですが。それにしても怖ろしいかったのは、ここに投稿する論文は、近松研の評議員をされている錚々たる皆様の査読的なことを受けたことである。U先生、T先生から貴重な御教示を、H先生からはコメントを賜る。やはり専門家は怖えええ! ともあれ、お慈悲で不採用にはならなかったようで。
まえから書きたいネタがひとつだけあった。秋成が『胆大小心録』で中井竹山を茶化しているところがある。これが『ひらかな盛衰記』を踏まえてますよ〜ということ。しかしそれだけで論文になるわけがない。そこで『春雨物語』の中の通俗的と言われている部分を、浄瑠璃の摂取か流れ込みと読んでみた。
すでに先学がいろいろと言っていることにのっかっているところが多いのですが。それにしても怖ろしいかったのは、ここに投稿する論文は、近松研の評議員をされている錚々たる皆様の査読的なことを受けたことである。U先生、T先生から貴重な御教示を、H先生からはコメントを賜る。やはり専門家は怖えええ! ともあれ、お慈悲で不採用にはならなかったようで。
2010年12月27日
懐徳堂記念会百年誌
懐徳堂記念会のことには、このブログでも時々言及している。私も微力ではあるが運営委員の仕事を8年くらいほどやっている。今年記念会は100周年を迎えた。今年ほど忙しい年はなかった。
11月27日(土)には、それを記念するシンポジウム・レセプションがが行われた。シンポジウムには500人もの来聴があり、関係者一同ほっとしたところである。この模様は1月にNHK教育テレビで放映されるそうだ。
このシンポジウムとともに100周年事業の柱の一つであったのが『懐徳堂記念会百年誌 1910〜2010』である。2010年11月、懐徳堂記念会刊行。A5判並製188頁、カラー口絵11頁、写真多数。
懐徳堂記念会は、江戸時代の懐徳堂の理念を継承し、企業は文化人の尽力で明治43年に発足、市民のための学びの場として重建懐徳堂が建てられ、大阪市民の文科大学としての役割を果たしていた。戦争で建物は焼けたが、その蔵書が戦後大阪大学文学部に移され、支援する企業のご協力の下、記念会は大阪大学に事務局を置き、古典講座をはじめとする諸事業を運営している。
この記念会の100年の歩みを、前身の懐徳堂から振り返り(第1部)、かつ現在の事業を見つめ直し(第2部)、そしてこれからの100年を展望する(第3部)というのが、この冊子の目指した所である。
編集委員は飯塚一幸さんと湯浅邦弘さんと私であり、飯塚さんには懐徳堂および記念会の歴史と年表を主として執筆していただき、湯浅さんには、史跡マップ、メディアに紹介された懐徳堂、資料展、アーカイブ講座等等重要項目をお願いし、また全般にわたってご教示ご指導いただいた。私が執筆したのは、懐徳堂記念会のここ10年の活動についてである。資料と格闘してゴールデンウィークを過ごした日々が懐かしい…。
目玉は第3部の懐徳堂のこれからを考える諸氏のご寄稿と座談会である。後者は、柏木隆雄放送大学大坂学習センター所長の司会で、ロバート・キャンベルさん、作家の築山桂さん、パナソニックの社会文化グループマネージャーでジャズピアニストでもある小川理子さん、読売新聞の待田晋哉さんという異色の組み合わせで、座談内容も大変面白い。この人選だけは、私の手柄だと自賛しているのである…(まあちょっと文学系の色が強かったかもしれません。私に編集を任せたからですよ。ほほほ)。
市販はされず、関係者に配布されるだけのものだが、国会図書館や、大阪府立図書館、大阪市立図書館、豊中市立図書館などでは閲覧可能であるはずなので、興味のある方は御覧あれ。もちろん阪大図書館でも、記念会事務局でもOKである。
11月27日(土)には、それを記念するシンポジウム・レセプションがが行われた。シンポジウムには500人もの来聴があり、関係者一同ほっとしたところである。この模様は1月にNHK教育テレビで放映されるそうだ。
このシンポジウムとともに100周年事業の柱の一つであったのが『懐徳堂記念会百年誌 1910〜2010』である。2010年11月、懐徳堂記念会刊行。A5判並製188頁、カラー口絵11頁、写真多数。
懐徳堂記念会は、江戸時代の懐徳堂の理念を継承し、企業は文化人の尽力で明治43年に発足、市民のための学びの場として重建懐徳堂が建てられ、大阪市民の文科大学としての役割を果たしていた。戦争で建物は焼けたが、その蔵書が戦後大阪大学文学部に移され、支援する企業のご協力の下、記念会は大阪大学に事務局を置き、古典講座をはじめとする諸事業を運営している。
この記念会の100年の歩みを、前身の懐徳堂から振り返り(第1部)、かつ現在の事業を見つめ直し(第2部)、そしてこれからの100年を展望する(第3部)というのが、この冊子の目指した所である。
編集委員は飯塚一幸さんと湯浅邦弘さんと私であり、飯塚さんには懐徳堂および記念会の歴史と年表を主として執筆していただき、湯浅さんには、史跡マップ、メディアに紹介された懐徳堂、資料展、アーカイブ講座等等重要項目をお願いし、また全般にわたってご教示ご指導いただいた。私が執筆したのは、懐徳堂記念会のここ10年の活動についてである。資料と格闘してゴールデンウィークを過ごした日々が懐かしい…。
目玉は第3部の懐徳堂のこれからを考える諸氏のご寄稿と座談会である。後者は、柏木隆雄放送大学大坂学習センター所長の司会で、ロバート・キャンベルさん、作家の築山桂さん、パナソニックの社会文化グループマネージャーでジャズピアニストでもある小川理子さん、読売新聞の待田晋哉さんという異色の組み合わせで、座談内容も大変面白い。この人選だけは、私の手柄だと自賛しているのである…(まあちょっと文学系の色が強かったかもしれません。私に編集を任せたからですよ。ほほほ)。
市販はされず、関係者に配布されるだけのものだが、国会図書館や、大阪府立図書館、大阪市立図書館、豊中市立図書館などでは閲覧可能であるはずなので、興味のある方は御覧あれ。もちろん阪大図書館でも、記念会事務局でもOKである。
2010年12月25日
私的「秋成展総括」論文?
拙稿「交誼と報謝―秋成晩年の歌文」掲載の『語文』95輯(2010年12月、大阪大学国語国文学会)が刊行されました。
今年を振り返ると、私の中での10大イベントの1位はやはり京都国立博物館の上田秋成展ですね。5年がかりでの準備と開催にいたるまでの紆余曲折を思いますと、感慨無きにしも非ず。そこでふと秋成展を自分なりに総括する論文を書いて見ようかと…。たまたま今年から始まった科研が、「近世上方文壇における人的交流」をテーマとしているので、ちょうどよろしいな、ということで、京都新聞で書かせていただいた内容を、すこし突っ込んで書いたという形です。ただ、締め切りが過ぎてから書き始めるという情けない状態、実質ン日くらいで書いたので、文体がかなり軽くなってしまいました。
秋成晩年の歌文の多くは、交誼と報謝のためにあったというのが出発点であり結論です。これは秋成展のコンセプトと完全に一致するもの。秋成展終了後であるから、これはもう常識?かもしれません。それはそれでいいのです。秋成展総括という意味もあり、京博で展示した香具波志神社および谷川家所蔵のものを柱に書きました。谷川家所蔵のものは図版も掲げて、紹介のように見えるかもしれませんが、私としては「神(医)への報謝」という意識で、秋成が谷川家に贈呈したものだというところを強調しています。いろいろと力不足を感じる拙論ではありますが、これを書いて秋成展を終えたという感じを持てる、ということは否定できないのであります。
今年を振り返ると、私の中での10大イベントの1位はやはり京都国立博物館の上田秋成展ですね。5年がかりでの準備と開催にいたるまでの紆余曲折を思いますと、感慨無きにしも非ず。そこでふと秋成展を自分なりに総括する論文を書いて見ようかと…。たまたま今年から始まった科研が、「近世上方文壇における人的交流」をテーマとしているので、ちょうどよろしいな、ということで、京都新聞で書かせていただいた内容を、すこし突っ込んで書いたという形です。ただ、締め切りが過ぎてから書き始めるという情けない状態、実質ン日くらいで書いたので、文体がかなり軽くなってしまいました。
秋成晩年の歌文の多くは、交誼と報謝のためにあったというのが出発点であり結論です。これは秋成展のコンセプトと完全に一致するもの。秋成展終了後であるから、これはもう常識?かもしれません。それはそれでいいのです。秋成展総括という意味もあり、京博で展示した香具波志神社および谷川家所蔵のものを柱に書きました。谷川家所蔵のものは図版も掲げて、紹介のように見えるかもしれませんが、私としては「神(医)への報謝」という意識で、秋成が谷川家に贈呈したものだというところを強調しています。いろいろと力不足を感じる拙論ではありますが、これを書いて秋成展を終えたという感じを持てる、ということは否定できないのであります。
2010年11月10日
学会版秋成展示図録
このブログでも、えんえんと情報を流していた京都国立博物館の上田秋成展。その展示図録(日本近世学会版)が完成し、このほど学会員に配布された。実行委員会の稲田篤信・木越治・長島弘明・飯倉洋一と京博の水谷亜希が解題を執筆。出展目録と年譜そして実行委員会記録を付している。
展覧会後に出現した、大型の新資料も追加で収録した。
京博の小冊子にくらべると、やはり「学術的な」内容である。新しい指摘も随所にある。学会から補助をうけて刊行しており、市販はされない。新出資料、初公開資料が多いので、価値は高い。
これで、すべての実行委員会の仕事は終わる。(もっともまだ協力者などへの発送や、住所不明で戻ってきたものなどの処理は残るが)。やれやれである。打ち上げが楽しみである。
展覧会後に出現した、大型の新資料も追加で収録した。
京博の小冊子にくらべると、やはり「学術的な」内容である。新しい指摘も随所にある。学会から補助をうけて刊行しており、市販はされない。新出資料、初公開資料が多いので、価値は高い。
これで、すべての実行委員会の仕事は終わる。(もっともまだ協力者などへの発送や、住所不明で戻ってきたものなどの処理は残るが)。やれやれである。打ち上げが楽しみである。
2010年07月15日
仮名序といつはり、そして明日は…
『国文学解釈と鑑賞』8月号は、「近世散文における引用と挿絵」という特集を組んでいる。
人ごとのように言いましたが、私も書きました。
「秋成における古今集仮名序の引用」というのですが…。
テーマの趣旨とはちょっとずれることを承知で、秋成における「いつはり」の問題を考える時に避けて通れない問題について書いたつもりである。
仮名序では吉野山の桜が雪に見えたとか雲に見えたとかいう歌が問題になる。それが本当にそうみえたのか、「いつはり」なのか?秋成は文学における偽りの問題をこういうところに発見しているのである。この問題は秋成に終生わだかまり、仮名序を鏡にして、彼はみずからの倫理意識を照らし続けるのである。
さて、いよいよ明日は、宵山…。そうなんですが、私らにとっては、秋成展開幕の前日、記者発表の日である。内覧会もある。こういうのは初めての経験なので、ちょっと楽しみである。
祇園祭でかすむのか、逆にお祭りに乗っていけるのか?幕が開いてみないとわからない。NHK京都が後援しているのだから、NHK京都ぐらいは少しニュースで取り上げてくれないかしら。
人ごとのように言いましたが、私も書きました。
「秋成における古今集仮名序の引用」というのですが…。
テーマの趣旨とはちょっとずれることを承知で、秋成における「いつはり」の問題を考える時に避けて通れない問題について書いたつもりである。
仮名序では吉野山の桜が雪に見えたとか雲に見えたとかいう歌が問題になる。それが本当にそうみえたのか、「いつはり」なのか?秋成は文学における偽りの問題をこういうところに発見しているのである。この問題は秋成に終生わだかまり、仮名序を鏡にして、彼はみずからの倫理意識を照らし続けるのである。
さて、いよいよ明日は、宵山…。そうなんですが、私らにとっては、秋成展開幕の前日、記者発表の日である。内覧会もある。こういうのは初めての経験なので、ちょっと楽しみである。
祇園祭でかすむのか、逆にお祭りに乗っていけるのか?幕が開いてみないとわからない。NHK京都が後援しているのだから、NHK京都ぐらいは少しニュースで取り上げてくれないかしら。
2010年07月13日
老いからの飛翔
これが高田衛『春雨物語論』のテーマ。
秋成研究のみならず近世文学研究の巨人・怪人・鉄人である高田衛先生の本を書評できるとは光栄至極である。もちろんわたしなりに一生懸命書いた。書評って結構命がけのところがありますからね。
「日本文学」2010年7月号。
書き出しはこういう感じ。
高田衛が蝶になって険しく聳え立つ山の頂上付近を飛翔している。その山の名は『春雨物語』。山に魅せられて登ろうとした者は跡を絶たなかったが、難路につぐ難路、登り始めたものにしか分からない困苦は、登頂挑戦を躊躇わせていた。
秋成研究のみならず近世文学研究の巨人・怪人・鉄人である高田衛先生の本を書評できるとは光栄至極である。もちろんわたしなりに一生懸命書いた。書評って結構命がけのところがありますからね。
「日本文学」2010年7月号。
書き出しはこういう感じ。
高田衛が蝶になって険しく聳え立つ山の頂上付近を飛翔している。その山の名は『春雨物語』。山に魅せられて登ろうとした者は跡を絶たなかったが、難路につぐ難路、登り始めたものにしか分からない困苦は、登頂挑戦を躊躇わせていた。
2010年06月29日
秋成忌
6月27日(日)、秋成の墓碑が建つ西福寺で、秋成忌が行われた。
集まった人々、約70名。予想を上回る参加者であった。
法要に続いて、筑前琵琶奏者の片山旭星師が「仏法僧」を語った。
初めて聞いたが、独特の世界を醸し出し、参加者はじっと聴き入った。
続いて、私が「菊花の約」についてしゃべる。菊花の約論を書いている方が、数人その場にいらっしゃるというプレッシャーに耐えて、尼子経久に焦点を当て、従来からいわれる菊花の約の謎に、一応の答えを出したつもりである。あとできいたら、案外、研究者の方からも面白かったと言ってもらえたし、また貴重なご意見をも承ることができて、私としては大変ありがたかったのである。
さらに休憩をはさんで、旭星師は「菊花の約」「青頭巾」を立て続けに語った。だんだん迫力が増し、青頭巾で、最高潮に達したように思う。
主催者の御好意で、そのあとそのまま本堂で懇親会が行われ、30名くらいが参加されていただろうか。いろいろな方とお話することができて楽しかった。その余韻やまず、10数名はさらに2次会へと移動。楽しい秋成語りは尽きることがなかったのである…。
秋成忌の模様は京都新聞に報じられた。
また、ブログで感想を書いて下さっている方もいる!
http://super100yearscompany.dtiblog.com/blog-date-20100627.html
泉下の秋成も愉快だっただろうか?
集まった人々、約70名。予想を上回る参加者であった。
法要に続いて、筑前琵琶奏者の片山旭星師が「仏法僧」を語った。
初めて聞いたが、独特の世界を醸し出し、参加者はじっと聴き入った。
続いて、私が「菊花の約」についてしゃべる。菊花の約論を書いている方が、数人その場にいらっしゃるというプレッシャーに耐えて、尼子経久に焦点を当て、従来からいわれる菊花の約の謎に、一応の答えを出したつもりである。あとできいたら、案外、研究者の方からも面白かったと言ってもらえたし、また貴重なご意見をも承ることができて、私としては大変ありがたかったのである。
さらに休憩をはさんで、旭星師は「菊花の約」「青頭巾」を立て続けに語った。だんだん迫力が増し、青頭巾で、最高潮に達したように思う。
主催者の御好意で、そのあとそのまま本堂で懇親会が行われ、30名くらいが参加されていただろうか。いろいろな方とお話することができて楽しかった。その余韻やまず、10数名はさらに2次会へと移動。楽しい秋成語りは尽きることがなかったのである…。
秋成忌の模様は京都新聞に報じられた。
また、ブログで感想を書いて下さっている方もいる!
http://super100yearscompany.dtiblog.com/blog-date-20100627.html
泉下の秋成も愉快だっただろうか?
2010年06月05日
加藤宇万伎の墓
京都新聞6月2日付朝刊に、拙稿「畸人秋成の世界9」が掲載されました。
秋成の師、加藤宇万伎と秋成について書いています。
京都中京区三宝寺にある加藤宇万伎の墓(正面と左側面)を写真として掲載しました。この左側面の写真は、今年になって無縁墓群から別置して見られるようになったもので、初公開となるものです。
(秋成展関連情報8)
秋成の師、加藤宇万伎と秋成について書いています。
京都中京区三宝寺にある加藤宇万伎の墓(正面と左側面)を写真として掲載しました。この左側面の写真は、今年になって無縁墓群から別置して見られるようになったもので、初公開となるものです。
(秋成展関連情報8)

