2008年10月14日

『日本教育史研究』27号(後日ばなし)

 こちらのエントリで言及した拙稿ですが、実をいうと、最初は中野三敏先生のところに、誰か適当な方を紹介いただけないかという打診が編集部からあったようです。

 というよりも、本当は中野先生に書いてほしかったようですが、先生は1度、該雑誌に論評を書かれていることもあり、私に機会を与えられたようです。まあ、高野論文には中野先生の『戯作研究』はもちろん引用されていますが、拙論もいくつか引用されてますので。

 そういうこともあって、この論評(誰にも差し上げておりませんでしたが)、一応先生にだけは読んでいただかねばと、おそるおそる呈上いたしましたが、「やはり」というか、「思いがけず」というか、叱責されました。

 「やはり」というのは、先生からみれば、当然ダメだということになるだろうと予想していたということですが、「思いがけず」というのは、叱責であれ何であれ、コメントをいただけたということです。それだけですごいんじゃないかなどと思っているのですが。

 で、なんと叱責されたかと申しますと、近世では文学と教訓は何ら背離するものではないことを、もっと言うべきだということです。(もっときつい言い方ですが)。相手は教育思想史の研究者で、こちらは文学研究者。その境界線を自ら引いてどうする、ということでしょう。

 まあ、中野先生と全く同じことをいうわけにもいきませんので、というのは言い訳がましいですが、いわれてみれば、少し「文学」という概念にこだわりすぎているのかもしれません。当時そういう概念はなかったのに。たしかにそうなのですが、でもやはり、それ的なものはあるような気がするという・・・・。もう少し悩んでみることにします。

 



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2008年09月11日

『日本教育史研究』27号

『日本教育史研究』という雑誌は変わっています。研究論文と書評が載るのですが、論文に対する論評(複数)と、書評に対する著者のコメントが載っているのです。知る限りこういう雑誌は他に知りません。理系にはあるのでしょうか。さて、同誌27号(2008年8月)の巻頭論文、高野秀晴「談義本に見る宝暦期江戸民衆教化の一端―静観房好阿『当世下手談義』『教訓続下手談義』を手がかりに―」に論評を求められていましたが、このたび刊行されました。
 一部を少し引用します。冒頭ではありません。

高野論文は、享保から寛政へかけての教育思想史の叙述の中で「過渡期」と片付けられてきた宝暦期を、この時期一世を風靡した談義本の代表作である『当世下手談義』『続当世下手談義』に注目し、これを丁寧に読みぬくことで位置づけようとしたもので、教育思想史の分野ではおそらく異色の論文であろう。
 近世文学研究と近世教育史研究あるいは近世思想史研究は、お互いにもっと研究を知りあうべきであると、かねてより考えている筆者にとって、近世文学側の先行研究をきちんと押さえている本論文は、それだけでも大きく評価されるべきものである。隣接領域となると、途端に先行研究を探索する方法に不明であるのが常だが、本論文は、実に細かく文学研究側の業績に目配りがなされていて感心した。


 また、

思うに高野氏に限ることではあるまいが、教育史・思想史研究の方では、江戸期の版本・写本そのものを読むということが、やや疎かになっているように見受けられる。江戸時代の文学研究においては、なにがしか本文に触れようとするならば、原本を数種は見て、版本であれば出版地や版元を確認し、摺りの状態から初刷を確定し、あるいは板権の移動を調査することが、少なくとも態度としては基本であろうし、写本であれば料紙や筆跡などを調べて、書かれた状況を推定することから全てが始まる。江戸時代の言説の営為を把握するためには、現実に残されているモノを最も有力な手がかりとすべきである、というのは近世文学研究の立場では常識なのである。談義本を一通り見渡そうとするのならば、どうしても版本自体を見る必要に迫られるはずであり、さらに江戸時代の教育思想史の資料という意味ならば、翻印されていない著述の方がはるかに多いことは言うまでもない。

などとちょっと批判的な言辞も弄しております。原稿用紙7,8枚だったか結構長く書いています。
 
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2008年06月03日

上方文藝研究 第5号

上方文藝研究の会編『上方文藝研究』第5号がまもなく刊行されます。ラインナップは以下の通りです。

平間長雅『奉納千首和歌』について 福田安典
平間長雅の箱伝受と『堺浦天満宮法楽百首和歌』  わく田将樹
蔵山集解題補考―撰集の基盤について―  浅田徹
『文反古』の版下筆者  飯倉洋一
享和元年の秋成 辻村尚子
読本の東西往来─文化期の事例を中心に 木越俊介
万治二年板『道中記』の異板ー訂補 永野仁
漢文体小説『小説温泉奇遇』解説補遺 服部仁
連載 上方文藝研究の現在(5)読洒会

ちなみに私の書いたものは、秋成『文反古』の版下筆者が松本柳斎だというものです。
新規に定期購読希望の方は、購読会員になっていただく必要があります。お問い合わせはこのコメント欄でも承ります。旧号のバックナンバーについては和泉書院から購入することができます。和泉書院の方にお問い合わせください。
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2008年04月15日

西田耕三論

「文学・芸術・文化」(近畿大学文芸学部論集)19巻2号、2008年3月に、「生涯・万物の霊・主人公―西田耕三の「起源」―」を発表し、このほど刊行されました。西田耕三氏―、東大文学部哲学科を卒業後横浜市役所に勤務し、のち都立大学で国文学を研究。はじめ平家物語、説経を論じ、のち仏教説話・近松・西鶴・芭蕉など幅広く近世文学を論究、近世文学研究者の中でも屈指の理論派としられる存在です。西田耕三氏との出会いはもう25、6年前にさかのぼるでしょうか。Q大の近世文学の研究会に久し振りに顔を出したという西田氏と2次会、3次会とご一緒し、感化をうけやすい年ごろだったので、感激し、語りあかしましょうと、下宿にまできていただいて、冬の寒い夜をこわれたこたつで震えながら文字通り徹夜で語り明かし、歌い明かし、なぜか朝から空いていたラーメン屋でラーメンを食べて、松本清張の『点と線』に出てくるK駅で別れたという壮絶な出会いがありました。以来、いつかは西田耕三論を書いてみたいとずっと思っていたのですが、昨年冬、思いがけずご依頼をうけて、制限枚数なしという条件で書評を書くことを許していただきました。その時は、1か月で3本の締切があったのですが、もちろん引き受け、私なりにきわめて未熟ながら西田耕三論として書いたつもりです。内容は3つの西田氏の著書の書評を柱にしていますが、狙いは西田論です。完全に時間不足だったのですが、時間があったからといってこれ以上のことは書けなかっただろうと思います。
雑誌では「書評」として扱われましたが、私としては西田耕三論のつもりで書いたものです。原稿用紙で20数枚だったと思います。
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2008年04月13日

「国語と国文学」5月号

「国語と国文学」5月号が刊行されました。
秋成の『春雨物語』成稿200年を記念して、『春雨物語』という特集が組まれています。それほどメジャーな作品とはいえないだけに、なかなか思い切った企画です。論文が12本並んでいます。まだ至文堂のHPには出ていないようです。
 私も「『春雨物語』論の前提」という論文を書いています。昨年3月の阪大における「秋成―テクストの生成と変容」の公開研究会の春雨物語の議論を私なりに受け止めて書いたものです。
 3月の研究会の発表者・コメンテータではほかに稲田篤信氏、井上泰至氏、木越治氏、長島弘明氏、山下久夫氏が書かれ、当日来て下さっていた方では小椋嶺一氏、浅野三平氏が書かれています。ほかに内村和至氏、山崎芙紗子氏、鈴木よね子氏、高田衛氏が力作を寄せています。
 しかし相変わらずのメンバーといわれれば、その通りですね。いきのいい若い方の登場が期待されます。
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2008年03月29日

『読本事典』

国文学研究資料館・八戸市立図書館編『読本【よみほん】事典 江戸の伝奇小説』(笠間書院)の紹介です。
読本【よみほん】事典 江戸の伝奇小説
国文学研究資料館・八戸市立図書館[編]
定価:本体2,800円(税別) 頁数*216頁 笠間書院刊
判型*菊変(168×217) 口絵カラー*8頁 前・後見返し、カラー 上製本  2008年2月 笠間書院刊


【目次】
口絵図版
序(松野陽一・河村忠治)
凡例
はじめに—出版までの経緯 
1●読本の形成
1-1○初期読本の時代
1-2○上方=絵本もの読本の広がり
1-3○『絵本太閤記』
1-4○江戸=中本もの読本の位置
1-5○江戸=京伝・馬琴と稗史もの読本の形成
1-6○初印本と後印本—『優曇華物語』を例に—
2●読本の展開(その一)
2-1○江戸=稗史もの読本の流行と馬琴
2-2○小枝繁
2-3○『南総里見八犬伝』
2-4○上方=江戸風との融合
3●読本の展開(その二)
3-1○江戸・上方の提携
3-2○江戸=為永春水の読本

私(飯倉洋一)は、「1-1初期読本の時代」を分担執筆しています。

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『秋成文学の生成』

最近出版した本の紹介です。
飯倉洋一・木越治編
『秋成文学の生成』森話社 2008年2月刊
A5判/416頁 本体6500円(+税)
『テクストの生成と変容』の姉妹編です。
共同研究 テクストの生成と変容の第11回研究会として行いました特別研究会、「秋成―テクストの生成と変容」の研究会の成果をを柱とした本です。秋成研究の第一線の方に多く執筆していただきました。内容は以下の通りですが、特に井上泰至氏の「『雨月物語』典拠一覧
」は重宝だと思います。

【序章 研究史展望】
対談 秋成研究の道のり(木越治×飯倉洋一)
【第一章 秋成再考】
秋成文業の生態 私考──筆、人を刺す。又人にさゝるゝれど(高田衛)
秋成伝記資料拾遺(長島弘明)
『山づと』考──天明二年初冬の秋成(稲田篤信)
【第二章 秋成浮世草子の生成】
秋成浮世草子と唱導文化(堤邦彦)
秋成『諸道聴聞世間狙』とモデル──南嶺から秋成へ(神谷勝広)
『世間妾形気』と古典──巻一−一「人心汲てしられぬ朧夜の酒宴」を中心に(近衛典子)
【第三章 『雨月物語』の再生】
『雨月物語』と後期読本(田中則雄)
「浅茅が宿」「蛇性の婬」から映画「雨月物語」へ(田中厚一)
【第四章 和学者秋成の視線】
「変容の古代」として──『岩橋の記』の記述(山下久夫)
秋成の校訂──『土佐日記解』自筆本三種を中心に(一戸渉)
【第五章 秋成和文の誕生】
風景の変容──『藤簍冊子』の生成(鈴木よね子)
秋成和文の生成──『文反古』を中心に(飯倉洋一)
【第六章 『春雨物語』新考】
『春雨物語』論のために(風間誠史)
「我いつはり」と「まさし事」のあいだ──「死首の咲顔」と「ますらを物語」(糸川武志)
よくわかる『春雨物語』(木越治)
【第七章 『雨月物語』研究のために】
『雨月物語』典拠一覧(井上泰至)

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テクストの生成と変容

2005〜2007年度、大阪大学大学院文学研究科広域文化表現論講座共同研究 研究成果報告書の『テクストの生成と変容』を刊行いたしました。飯倉洋一編 A4 204頁。大阪大学大学院文学研究科のスタッフを中心に力作が並んでいます。以下は内容紹介です。

(横書)
飯倉洋一 テクストが生まれる時、テクストが変わる時―共同研究「テクストの生成と変容」をふりかえって
研究会編 「テクストの生成と変容」研究会のあゆみ
和田章男 生成研究の方法と課題―プルーストを中心に
伊東信宏 バルトーク《44の二重奏曲》第10曲「ルテニアの歌」の生成プロセス
永田 靖 パフォーマンスの介入―メイエルホリド演出『スペードの女王』第1〜2幕を中心に
上野 修 スピノザと聖なるテクスト
浅見洋二 校勘から生成論へ―宋代における詩文集の注釈、特に蘇黄詩注をめぐって
湯浅邦弘 テキストの変容と故事成語の誕生
金水 敏 翻訳における制約と創造性―役割語の観点から
鈴木暁世 「放浪者」の誕生―芥川龍之介戯曲草稿「弘法大師御利生記」に関する一考察
木下京子 テクストにみる池玉瀾の人物像の変化
研究会編 第11回(特別)研究会「秋成―テクストの生成と変容」の記録
(縦書)
柏木隆雄 太宰治『惜別』テクストの生成
出原隆俊 芥川「疑惑」と鴎外・志賀直哉 
荒木 浩 〈孝〉と〈捨身〉と―芥川龍之介「今昔物語鑑賞」改稿の周辺など
加藤洋介 書写という行為―『伊勢物語』テクストの生成と変容
蜂矢真郷 語の変容と類推―語形成における変形について
天野文雄 『九位』の「奥義之上」の読みと意味
海野圭介 崑玉集補説―仮構の兼好伝を伝える一資料とその周辺
衣笠 泉 『常山紀談』論―写本と典拠からみる成立過程
岡島昭浩 〈五音歌〉の変容―外郎売りと姓名判断
飯倉洋一 開かれたテクストへ―刊本『文反古』への変容
辻村尚子 テクストの生成―『文反古』とその周辺    

2008年3月刊行 大阪大学大学院文学研究科広域文化表現論講座発行
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