2017年06月20日

八犬伝錦絵大全

服部仁氏の監修・著による『八犬伝錦絵大全―国芳 三代豊国 芳年描く江戸のヒーロー』(芸艸堂、2017年6月)が刊行された。
文字通り錦絵でたどる八犬伝であるが、非常に構成がよく練られていて、八犬伝入門・錦絵入門にもなっている。
まずは、『錦絵 八犬伝へのいざない』という最初の文章で、読本の『八犬伝』絵師と、錦絵での「八犬伝」絵師は重ならないということを紹介する。なぜなのかを教えていただきたいところである。
ついで、読本八犬伝のあらすじが、錦絵とともに紹介される。次に、八犬伝人物相関図が、これまた錦絵「八犬伝犬の草紙」の絵を使って一覧できる。次に版本八犬伝の紹介。そして二次作品というべき錦絵・合巻・暖簾・双六・カルタなどの存在を明らかにし、その中のひとつである『雪梅芳譚 犬の草紙』の紹介。馬琴の生涯。国芳と国周の描く八犬士の肖像。そして絵師別名場面集。八犬伝の錦絵の中ではやはり芳流閣の決闘の場面を描くものが圧倒的に多いと言うことだ。さもありなんだが、600枚もの八犬伝錦絵を所蔵する服部氏が言うと重みが違う。絵師別に見較べるのは愉しい。さらに芝居絵八犬伝、刺青下絵師の描く八犬伝、3枚続きを中心に見ていく錦絵八犬伝ストーリー、パロディ八犬伝、双六八犬伝、見立八犬伝と、まさしく絢爛豪華な展開。本当に楽しく学べること請け合いである。
 ところで著者から伝言がある。ご本人は関わっていないということであるが、「岡崎市美術館で、〜7/17、「家康の肖像と東照宮信仰」展を開催しております。いけどもいけども家康ですが(終わりの方に、秀忠、家光etc.もありますが)、江戸時代の研究者は見ておくべきかと存じます」との事である。残念ながら行けそうにないが。
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2017年06月14日

御伽百物語

怪談好きは百も承知の「百物語」。江戸時代にはこの語を書名に含む本が数多く出た。太刀川清氏の正続の『百物語怪談集成』(国書刊行会、叢書江戸文庫)は、その代表的なものを通覧できる至便の書だが、注釈などはまだまだ進んでいない。青木鷺水の『御伽百物語』の、わかりやすい校訂本文、注、各話の丁寧なあらすじ、さらに典拠のあらすじを載せた本が刊行された。三弥井古典文庫の1冊で藤川雅恵編著『御伽百物語』(2017年5月)である。百物語研究を志している留学生がいて、私にとってもタイムリーな本である。それにしても、この本を廉価なソフトカバーで出すとは、素晴らしい企画。長年の研究を形にしてくださった藤川さんをはじめ、出版に尽力された関係者に深謝。
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2017年06月12日

学会記(東京女子大学)

 日本近世文学会春季大会が、6月10・11日の日程で、東京女子大学で行われた。
 その前週に、中古文学会も開催されていて、運営の点では、まことにそつがなく、行き届いているという印象。たとえば、研究会開催前に委員会が開催されるが、委員は総合受付を経由せずとも、委員会会場で受け付けと発表資料を受け取れる仕組みなど、細部に心配りが。事務局と大会校にはいつもながら感謝感謝。
 発表者は9名で、やや少なめだが、ゆったりした日程で、早めに終わるのも悪くない。ちょっと帰りにバーにでもよって発表の感想を述べ合うような会もできるというものである(←それをした人)。
 さて、発表は全部を聞いたわけではないので、例によって、恣意的に取り上げる。
 まず土曜日のトップバッターは、私のゼミの学生。ボコボコにされるのは本人十分覚悟の上の、西鶴でのいわば異説の発表。私のアドバイスは「堂々と発表してきなさい」ということ(←精神論か!)。
 従来、ほぼ読みの定まっている作品に対して、別の鑑賞法もありうるという問題提起だった。大家のお二人の質問を引き出したのはOK。前者の方の質問はさすがに鋭く、しばしの沈黙があったが、「貴重なご指摘ありがとうございます。今後の課題とさせていただきます」と逃げるのではなく、ちゃんと自分なりに答えたのは、いいのではないかと思った。私の聞いた範囲、あるいはSNSなどでも、面白く聴いたという意見は多かった。「10人が10人そう読む」という読み方に敢えて異を唱えるのは「岩盤ドリル」だが、それをやろうとしたことにエールが送られていたと思うし、「論じ方次第では、もっと説得力を持ったよ」と教えてくださる西鶴研究者の方もいたのはありがたい。発表したからこそ見えてくることがあるのだ。
 2日目の合巻の表現規制を戯画化した合巻についての佐藤至子さんの発表は、聴いてて惚れ惚れするような明快な論旨と展開であった。それに対する質疑応答も非常に高度で面白かった。ずっと聴いていたいような至福感。学会発表を聴きに来る醍醐味がここにあるといってよい。
 徳田武先生の、前年の発表「洒落本『列仙伝』は上田秋成作ならん」の続考となる「『雅仏小夜嵐』も上田秋成作ならん」。前考を認めない方には当然今回も受け入れられない。実は、前年の議論を(在外のため)私は聞いていない。秋成研究者が批判したとは聞いていたが、今回、秋成研究の大家からの質問意見が出なかったのは、前年の発表を認めないという立場からの当然の対応なのだろうと思った。
 ただ、この推定を根拠薄弱、実証手続き不十分と批判することはもちろん可能だが、絶対にありえないとは少なくとも私には言えない。だから多少秋成研究者との議論を期待していたのだが残念であった。作者「蘇生法師」をめぐる井口先生との議論はあったが。
 もっとも若い人がこういう発表を真似すべきではない。徳田先生には、秋成研究史の上で、従来手薄であった秋成の漢学についての有意義な研究があり、読本における数々の典拠の指摘の実績は言うまでもない。それらを総合的に判断すれば、かかる発表もありだろうと思う。現にいろいろな意味で勉強になったし、質疑を含めて有意義だったと思う。異論があるだろうが、それを承知で敢えて私感を述べる次第である。
 それにしても、今回は学会発表における質疑について考えされられた。
 発表者が少なくなってきているのを逆手にとって、質疑時間をもう少し長くとってもいいかもしれない。せめて10分とっていただければ、今回挙手しながらも質問できなかった方も質問できていただろう。
 とはいえ、現状は5分というルールである。であるならば、質問する方もそれを意識しないといけないだろう。他にも質問者がいるかもしれないから、手短に、整理して質問することを意識しなければならないだろう。質問の内容も、できるだけ発表の可能性を引き出してあげるような、問題意識を深めるようなものであることが望ましい。長い質問・やりとりがよくないというのではない。現に佐藤至子さんと佐藤悟さんのやりとりは、今大会の白眉というべきもので、時間は気にならなかった。研究会のようにゆったりとした時間があることを前提とするかのような質問は勘弁してほしいのである。
 さて、個人的には、今学会会場渡しを約束していた、とある編著の念校が無事渡せたことが何よりであった。 

 
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2017年06月07日

中世和歌史の研究

小川剛生さんの『中世和歌史の研究―撰歌と歌人社会』(塙書房、2017年5月)が刊行された。
すでにネット上ではちらほらレビューも見られる。
予想に違わず、ずっしりとした重みと、鋭い切れ味を兼ね備えた、魅力的な研究書である。

小川さんの学風はみずから「歴史的・実証的」というように、和歌と政治の絡みを意識した史的展望に基づく厳密な実証なのだが、読んでいて、興奮を禁じ得ない。「膝を打つ」「目から鱗」の叙述が次々に展開する。
やはり、それは、問題の所在の指摘の鮮やかさである。

中世和歌史の研究は、傍目から見ても、いわゆる院政期から新古今時代が盛んに見える。しかし小川さんは、鎌倉後期から室町中期に切り込む。「形骸化したはずの和歌と官職によって辛うじて統一性が保たれていたとさえ思える」この時代の「撰集」という営為に着目し、骨太の和歌史構想を打ち出してくる。

誰も問題視しなかったことを論点とし、そこを起点に、最も適切な資料を材料に、緻密に、しかしスリリングに、知られざる事実を明らかにし、「撰歌」の持つ重大な政治性をも考察する。研究史への目配りは勿論、関連資料の博捜に基づく立論であることで、説得力が半端ではない。

 たとえば、撰集の中での四季部とそれ以外の意味など、事実の提示によって重要な指摘が裏付けられていく。それらから立ち上がる、小川さんならではの和歌史の新鮮さ。研究書として、あまりにレベルが高くて、絶句してしまうほど。

 本当に素晴らしいの一言。まだまだ筆に尽くせないが、とりあえずここまで。

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2017年06月01日

『近世文学史研究 二 十八世紀の文学』刊行

 私が監修した『近世文学史研究 2 十八世紀の文学―学び・戯れ・繋がり―』(ぺりかん社、2017年6月)が刊行される(奥付は6月10日)。見本刷が出来、私の手元に一足はやく届いた。原稿をお願いした皆さまには、私の我儘なコンセプトをよく理解してくださり、非常に興味深く、問題意識に満ち、しかもわかりやすいご論考をお寄せいただいた。この場を借りて、深く感謝申し上げる。
 十八世紀(近世中期)といえば、わが師中野三敏先生の所謂「雅俗融和」の時代である。そのことは、既に十分行き渡っていると思い、私は違う角度、つまり文芸に携わる人々の営為、文芸への関わり方としての営為という観点から、この時代を捉えてみたいと考えた。「学び・戯れ・繋がり」という副題は、その具体的な営みの在り方である。
 もちろん、鈴木健一さんが監修した「十七世紀の文学」においても強調された領域横断的な問題設定を継承していることは目次を見て頂ければ瞭然である。「文学史研究」を謳っているが、歴史・思想史・美術史らに関心のある方々にも読んでいただきたいと思っている。ラインナップは以下の通り。拙論はともかく、ほかの執筆陣の論考はいずれもエキサイティングである。木越治さんの連載を含めて9本150頁。読み応えは十分である。
 
【序】
十八世紀の文学――学び・戯れ・繫がり:飯倉 洋一
【提言】
漢詩文サロンと儒学読書会:前田 勉
日用教養書と文運東漸:鍛治 宏介
十八世紀の美術――都市と地方のあやしい関係:安永 拓世
芸能史と十八世紀の文学:廣瀬 千紗子
【論文】
十八世紀地下歌学の前提――出版の時代:浅田 徹
社会と対峙する「我」から世法を生きる「心」、そして私生活を楽しむ「自己」へ――俳諧と社会:中森 康之
前期読本における和歌・物語談義――十八世紀の仮名読物の一面:飯倉 洋一
書籍業界における近世中期の終わり方:鈴木 俊幸
【近世文学研究史攷二】
近世小説のジャンル――近世文学の発見(二):木越 治

以上である。書店・学会会場などで、どうぞ手にとってご覧いただきたい。
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2017年05月20日

『柏木如亭詩集1』

 揖斐高先生訳注の『柏木如亭詩集1』が平凡社の東洋文庫の1冊として刊行された。奥付は2017年5月。
すでに岩波文庫から『詩本草』と『訳注連珠詩格』がやはり先生の校注で出ており、ますます如亭の詩が読みやすい形で提供されたことになるのは、ありがたい。収められるのは、『木工集』『吉原詞』『如亭山人藁初集』(以上1)、『如亭山人遺稿』(以上2)である。
 如亭に懐かしさを感じるのは、私が大学院に入ったばかりの中野三敏先生の演習が、『五山堂詩話』だったということである。それまで日本の漢詩文にほとんど触れていなかったが、五山をはじめ如亭・詩仏ら江湖詩社の詩人たちのことを、調べたり、作品を読んだりしていくなかで、近世日本の漢詩文というものに入ったということがあるからである。今関天彭翁の論文も古い雑誌を探索したり、師匠に貸していただいて読んだ(これも、今は揖斐先生が編んで東洋文庫に入れておられるが)。揖斐先生の論文も当然読んだ。
 如亭は、中でも、近代人の感性にフィットする。詩魔に魅入られて、実生活をないがしろにする。詩を切り売りして全国を放浪し、年老いても恋愛体質。『木工集』『吉原詞』をはじめとする如亭の詩は、そういう如亭の実像と虚像のイメージ、そして喩としての詩の魅力を存分に堪能できるものである。
 如亭研究の第一人者である揖斐先生の校訳で読めるのは、まことにありがたい。続編では年譜も掲載されるということである。
 
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2017年05月11日

チェコの日本研究の現状

 今日は、チェコのカレル大学(プラハ)の日本学科長で、現在大阪大学に滞在して研究を進めているヤン・シーコラ先生の「チェコにおける日本研究の現状」というお話を聞いた。小さな会だったが、活発な質疑が交わされた有意義な会だった。シーコラ先生は、近世から近代の日本の経済思想史がご専門であり、「懐徳堂及びその周辺における経済思想の成り立ち ― 「利」をめぐる議論を中心に」(『懐徳』第75号、2007年)という論文もある。かつて、懐徳堂記念会で講演していただいたこともある。
 東洋学において、国際的には日本から中国に学生の関心が移りつつあると言われている中で、カレル大学では日本研究の人気が逆に高まっているという。約20人の狭き門に150人から200人が入学を希望するという状況。中国学は逆に・・・・。当然、日本語や日本についての知識のレベルが高い学生が入ってくる。そこで、学部時代は日本語漬けともいえるようなカリキュラムで、徹底的に日本語を鍛えるのだとか。卒業試験は、辞書なしで、たとえば日経新聞を読ませ、訳をさせるようなレベル。常用漢字は全部覚えておかねばならないのだと。
 学生の関心は、90年代までは、伝統的文化に関心があったが、近年は現代日本の政治・社会・経済・ジェンダーなど実用的な側面に移ってきていた。しかし、最近になって、再び伝統文化へのUターン現象が起こっているのだとか。これは前近代をやっているものにとっては有り難いことである。理由はいろいろあるだろうが、ざっくりいえば、学生のレベルが高くなっているので、より深く知ろうとするからなのだとか。大学院の試験は、かなり深いテーマが出され、3時間で2000字の論文を書くのだとか。このような学生の日本に対する知識は、翻訳が充実するなど、条件が整備されているからだということである。おそらくカレル大学の日本学科の学生は、日本の日本文学を専攻している大学生の日本語運用能力や知識において、さほどわらない力を持っているのではないかと予想される。それはハイデルベルク大学で教えた経験からも十分考えられるのである。変体仮名・くずし字・古文書学などの講座も開講されているので、歴史的典籍を扱う学生は、これらを読むのが普通だということである。
 他にも教育や研究のシステムの問題について、詳細な説明をきくことができた。チェコの日本研究においては、日本語で書かれた論文は、業績にカウントできない。もちろんチェコ語でもだめで、英語でないと国際的に認知されないから業績として扱わないのである。少なくとも現実はそうである。海外の大学の研究者と連携するという前提は、日本研究においても、「英語を使えるということ」になっていくのは流れとしか言いようがないだろう。もちろん、海外の日本研究者が「日本語を使えるということ」は、絶対的な条件であることもまた確かである。しかし、彼ら、とくにチェコの学生に関しては、その使えるレベルがかなり高そうである。
 というわけで、海外の日本研究の状況をまた知ることができた。備忘として記しておく。私の主観的なまとめなので、その点ご留意ください。
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2017年05月04日

様式と営為

 『近世部会誌』11号。日本文学協会近世部会。2017年3月。この研究会は京伝の読本を読み続けている。「主題」を仮設して読む作品論に違和感があることを、編集後記で風間誠史さんが述べている。主題というよりは趣向、構想というよりは趣味的な発想であると。「読本こそ、最もとりすました遊戯であった」との山口剛の言を引き、「一番ぴったりくるのである。とはいえこれは江戸戯作を現実逃避の産物とする「近代」的な言説で、それを乗り越えようと研究者は苦心してきたのである。しかし、今や老若男女がこぞってポケモン探しに街なかを徘徊しており、「遊戯」は「現実」そのものになっている。「遊戯」をそれとして論じることが現実逃避とは別の意味を持つのではないか?」と。
 「現実」(真面目)と「遊戯」を二項対立で捉えるのが近代で、江戸時代はそうでなかった、しかし今や近代も変わって、「遊戯」が「現実」そのものになってきたのだと。
 一方、同氏は高木元氏の文学研究観に違和感を表明する文章を書かれている。高木氏は一貫して、「文学的価値」を云々する文学研究観を斬ってきた方で、「様式」を重視し、これを歴史的に位置付けることを目指しておられると私は見ている。これに対して「営為」を重視するのが風間氏か。
 浜田啓介先生のご本に「様式と営為」を謳う名著があることを思い出す。少し話がずれてくるが、近世の写本の意味は、様式だけでは絶対に解けない。風間さんの引用する高木さんの文章では、近世文学の対象は刊本のみであるような把握をされているかに見えるが、写本史を考えたら、当然のことだが、近世が圧倒的に資料が残されているわけだから、これを無視することはできない。もっとも一般的には近世は「出版の時代」で、写本研究は主流ではない。しかし、私見によれば、写本研究は非常に重要である(2010年の秋成展をきっかけに、秋成の文学を考える時にも写本の意味が重要だと考え、その一端を『上田秋成―絆としての文芸』大阪大学出版会、2012に書いた)。そして、写本はどの写本であれ、たった1部。写本をつくる書写者の営みを考えずして、写本論は成立しない。そして、実は版本にも、それが当然あるのである。版本が版本としてのアイデンティティを持つのが、「様式」の確立だとすれば、それ以外の部分には「営み」があるのは当然だと思う。
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2017年05月01日

ニコニコ超会議に参加しました。

4月30日。ニコニコ超会議「超みんなで翻刻してみた」に参加しました。私は「しみまる」の生みの親、笠間書院の西内さんと、くずし字の初歩と、くずし字学習アプリの紹介をしました。生放送がされていて、1万人ほどが視聴されたようです(これは1日でってことですが)。他にも、先生方の講義がいろいろありました。
初めての幕張メッセ。初めてのニコ超。いたるところにコスプレイヤー、ゲーマーがいて、私達のブースの後ろを、なま宮崎駿が通る!など、自分が被り物をしていても、全く恥ずかしくないこの雰囲気。ただ想像以上に騒然としていて、自然に声を張り上げていたのか、ノドがガラガラになりました。しかし、何かもう一度来たいような気持ちもかなりありますね。大体様子もわかったので、準備の仕方ってのこうすりゃいいのかなってわかったしね。我々のブースは、ほとんど唯一の(となりに「日本うんこ学会」がいましたが)学術的なもので、ノリもゆるいものでしたので、逆に異彩を放っていたかもしれません。ともあれ任務終了。DSC02424.JPG
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『心の中の松阪』

大阪大学名誉教授の柏木隆雄先生から、『心の中の松阪』(夕刊三重新聞社)をいただきました。
夕刊三重新聞に連載されたものの単行本化で、柏木先生の幼少のころから高校生の頃までの思い出が、豊富な写真とともに綴られています。先生のお人柄や、周りの方々の親切さ、松阪という町の暖かさがよく描かれているエッセイです。
柏木先生に御礼を申し上げたところ、次のように伝言を賜りました。

読んでみようと思われる方があれば、夕刊三重新聞社の 富永朋子さん宛て tominaga@yukanmie.comにメールで、著者(柏木)の紹介と書いていただければ、定価1800円(+税)を、2割引の1500円(税込み)で購入でき、そちらから送って貰えます(送料はスパーレターで180円)。

と。 
なかなか店頭に並ぶことのない本のようですので、ご利用ください。
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2017年04月28日

ニコニコ超会議に出演します。

ニコニコ動画の大規模オフ企画、ニコニコ超会議が、4月29日(土)・30日(日)の2日に亘って行われます。同動画で月1の番組を持っていて、1万数千人の視聴者をもつ、京都大学古地震研究会の「みんなで翻刻」プロジェクトが、このニコニコ超会議に参加します。題して「超みんなで翻刻してみた」。
30日の13:00ころから、しみまるキャラクターボイスを務める私めが、ゲスト出演する予定です。出演時間は1時間ほど・初心者向けにくずし字のレクチャーをします。笠間書院の西内さんと一緒です。しみまるキャップを被る可能性大。短いレクチャーを何度か繰り返します。生放送が予定されています。http://live.nicovideo.jp/watch/lv295707090?ref=sharetw
そして、現場にくれば、しみまると、しばのすけのステッカーがもらえるらしい!
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2017年04月18日

最近刊行された研究書

このごろの新しい研究成果についての情報をいくつか。

近代日本漢学資料叢書1『澤井常四郎 経学者平賀晋民先生』(解題 稲田篤信)研文出版。二松学舎大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「近代日本の「知」の形成と漢学」の研究成果の一環。

神道資料叢刊14『小津久足紀行集三』(高倉一紀・菱岡憲司・龍泉寺由佳編)。皇學館大学研究開発推進センター神道研究所刊。急逝された高倉さんによる解題は、絶筆となった。

出口逸平『研辰(とぎたつ)の系譜 道化と悪党の間』(作品社)。魅力的なテーマ。

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2017年04月07日

『日本文学研究ジャーナル』創刊

 『日本文学研究ジャーナル』が3月に創刊された。日本文学関係の雑誌が次々に休刊に追い込まれている中で、明るいニュースである。青簡舎の大貫祥子さんが編集に参加され、山口守義さんの古典ライブラリーから刊行された。古典ライブラリーは、『国歌大観』をはじめとする日本文学研究の必須ツールを、WEBで提供している。この学術誌も、WEBジャーナルとしても展開してゆくところに新しさがある。
 日本文学に関する良質な学術論文を集めるオーソドックスな学術誌として、大いに期待したい(などと他人事のように言っている場合ではない。来年9月刊行予定の第7号の編集を担当させていただくのだが・・・)。
 第1号は、渡辺泰明・佐々木孝浩の両氏による編集で、「中古・中世の和歌」が特集される。久保田淳先生の巻頭エッセイ、小川剛生氏の特別寄稿を首尾に置き、久保木哲夫・舟見一哉・田口暢之・佐々木孝浩・米田有里・山本啓介・高柳祐子の七氏の論文を掲載する充実ぶりで、創刊号に相応しい顔ぶれであると言えよう。本誌は、いきのいい若手の論文を積極的に掲載し、学界に新風を吹き込むことが大きな狙いのひとつである。また、WEBジャーナルということで、海外の日本文学研究者にとっても興味を引く論考が掲載されることを望みたい。
 ところで久保田淳先生の文章の最後に、世界の激動期に、八百年前の歌人達の歌や生にこだわり、それを追う営みについて思われることを書かれている。激動する世界の中で、古典研究をすることとは何か。久保田先生でさえ、真摯に迷われているのだ、ということにいたく感銘を受けた。どうふるまうかということは、個人でいろいろだろうが、「春秋に富む研究者たちはこの現実の下でどのように自身の研究テーマと向き合っているのだろうか」という問いには(私自身春秋に富むわけではないが)、自覚的でなければならないと思う。
 小川さんの「兼好法師の伊勢参宮」は、「吉田」ではない兼好の真の出自に迫る論文である。「吉田」が捏造であることを立証した論文も衝撃であったが、いよいよその正体が明かされようとしている。
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2017年04月06日

説経

 神戸女子大学古典芸能センター編『説経 人は神仏に何を託そうとするのか』(和泉書院)が刊行された。
阪口弘之先生の序論「語り物としての説経―栄華循環の神仏利生譚」は、「一家没落のあと、子による栄華復活という循環境涯の哀話を、神仏縁を讃嘆して、利生譚の成神成仏で結ぶ」のが説経だという。浄瑠璃との違いは教義主張の有無だとも。
 個人的には、Jesse先生のお名前が懐かしい。ドイツフランクフルト市立工芸美術館で、そのコレクションについて、昨年のドイツ滞在中に講演を聴いた(英語ではあったが)。そのあと、少し何人かで先生を囲んでお話をしたことが思い出される。先生は、そのフォーレッチコレクションの奈良絵本群についてお書きになっている。
 一線の研究者の論考を他にも多く集めた、近ごろ珍しい説経論集である。説経研究の必読文献になることは間違いないだろう。
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2017年04月04日

岡崎久司先生の島津先生追悼文

大東急記念文庫の『かがみ』47号(2017年3月)は、島津先生の追悼特集となっている。
その中で、岡崎久司先生の「小雪の舞う日」に引き込まれる。
『大東急記念文庫書目第二』『貴重書解題 第三巻 国書之部』の編纂で、中村幸彦先生、長谷川強先生、島津先生の「軍団」が来庫。年4回、7〜10日ほどの編纂作業(合宿)をした模様を活写している。もちろん、最高に面白いのは、夕食時、そして旅館での放談の模様。そして島津先生の旺盛な好奇心のこと。宝塚ファンというのは私も知っていたが、鉄っちゃんでもあったのですね。
そういえば、30年以上も前の話だが、近世学会でも、十数人が「旅館」に泊まり、その日の発表についていろいろと放談するというのが、そのころの一部の先生方のやり方だった。私も院生の時に一度経験したことがあるが、今思えば貴重な体験であった。

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