2022年11月21日

久保木秀夫さんのレクチャーを聴く

 非常勤の出講日の今日、たまたまではあるが、久保木秀夫さんが、その大学に講演に招かれていた。院生たちが呼びたい研究者を呼ぶイベントらしい。私の授業に出席している学生さんが、「先生もいらっしゃいますか?」とかねてから誘ってくれていたので、「(ラッキー!)もちろん」と、楽しみにしていた。 折りしも、今日は名物クリスマスツリーのイルミネーションの準備も完璧のようである。授業が終わって、さっそく講演会場に移動。控室に久保木さんはいなくて、すでに書画カメラのところで、数十の古典籍を積んで、準備をされていた。
 「これ、全部持って来られたのですか?」「ええ、あの海外旅行用のキャリーバッグに」「(ひょえかー!)全部、ご自分のですよね?」「ええ」。
 講演は「古い書物の面白さー國文学研究と書誌学ー」と題して、久保木さん自身の研究経験(学生時代・国文研時代、鶴見時代)をほぼ時系列に辿って、現在の集書に至るまでの、気づきや、集書テーマの形成をお話しいただいたあと、具体的にどのように古典籍を扱っていくか、興味深い具体例をいくつも示された。小学生向け和本レクチャーでは、小学生が有名古典の原本よりも、明治ごろの雑本に興味津々だったという経験を話された。たしかに、明治の和本にはモノとしての面白さが満載だ。和漢洋が融合した試み、英語教科書の和本や、新約聖書の和本などの実物を紹介された。左綴じの和本や、鳥羽絵の絵本とその板木のなど。小学生ならずとも面白い。
 しかし、やはり真骨頂は古写本・古筆切の話だ。若い頃から、のコツコツと集めた古筆切の写真は何万点。その知見があってはじめて、とてつもない原物を入手するチャンスをものにできるという話の実例をいくつか。入手方法もさることながら、わずか一葉の紙と記載内容から、これだけの情報が引き出されるという超スリリングな展開。むかし、中野三敏先生から伺った、「本の方からしかるべき人のところにやってくる」の話を思い出した。
 超レア本を含む、古典籍を、全て学生に開放、学生さんは、大喜びで、本を触っていた。
 とても、いいレクチャーを受けた。教室に出ると、とっぷりと暮れていて、クリスマスツリーのイルミネーションが無数の光を放っていた。
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2022年11月18日

蝶夢全集続

田中道雄・田坂英俊・玉城司・中森康之・伊藤善隆編『蝶夢全集続』が届いた。正編から九年、待望の900頁超。書簡編が圧巻である。そして、田中先生の「列島にくまなく蕉風俳諧を」と題した解説。要熟読。しかし、今はこの本を手にした昂揚感を記すにとどめたい。書簡編を摘読すると、文芸への熱い思いが伝わってくる。これが田中先生の熱い文学観と重なって見えるのは私だけだろうか。帯にも記された、光格天皇が新しい御所の壁に掛けた座右の銘のことを記す書簡。蝶夢は、情報の切り取り方も一流だ。この書簡編は、安永から寛政にかけての上方文壇を研究するものには必読であろう。
そして、蝶夢の文芸への確かな信頼を説く田中先生の解説には、時々目が釘付けになるような記述がある。
蝶夢が、火災にあった知人に「風雅(文学)は、かかる時の役に立申候ものにて候」と書き送ったことをとりあげて、「蝶夢の〈文芸は人を苦しみから救う力を持つ」との認識は、甚だ深く、また新しく、近代的とさえ言えよう」と。
本書については、あらためて書きたい。まずは、ご上梓への祝意を表したく、かくのごとく候。
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2022年11月13日

賀茂社家古典籍セミナー参加記

 11月12日(土)は、国文研共同研究が主催する「第1回賀茂社家古典籍セミナー」に参加した。京都である。まもなく告知する2月の国際シンポジウム(私も運営に関わっている)の会場で行われるので下見の意味もある。会場となる箱は立派なもので、安心した。アクセスと周囲の様子も検証したが、周囲に飲食店があまりないようである。もすこし調査を続けよう。
 セミナーは3本立てで、宇野日出生さんの基調講演「上賀茂神社と社家のふしぎ」、小林一彦さん(共同研究代表)の「鴨長明『方丈記』の性格」、家人である盛田帝子の「賀茂季鷹と王朝文化復興」である。いろいろ学びがあった。
 ここでは小林さんのご講演について。方丈記の流布本系の本文の性格を考えるという問題意識だが、実に興味深いのは、本文の性格を考える際に、後代、それも江戸時代の天明飢饉・沖縄戦・阪神大震災での証言などの画像資料や証言資料を使うという斬新な方法である。まさにデータサイエンスのモデルとなる発表である。方丈記の本文には、圧死で目玉が飛び出すとか、災害で亡くなった母親の乳を子供が求めているという記述が出てくるのだが、その記述は長明が現場で見たものなのかどうなのか。災害や戦争では、多くの「死体」が現場に残される。それがどのような有様であったか、江戸時代の飢饉の記録、沖縄戦の記憶を描いた映像、阪神大震災後の被災者の証言が、驚くほど方丈記で描かれたそれと一致することを示した。これにより、長明が、現場に出向き、死体のありさまを正確に描写し、それを伝えようとしたこと、つまり長明のルポルタージュの精神が浮き彫りにされた。こういう方法で古典本文を読むことができるのかという驚きとともに、「古典に学ぶ」ことができるという実例を示されたご講演であった。
 会場には国文研館長の渡部泰明さんもいらしており、久しぶりに、しばしお話することができた。「鎌倉殿の13人」の和歌考証がどのようになされているかなどの秘話を聞けたのはラッキー。
 個人的にお世話になっている賀茂季鷹のご子孫にあたる現山本家ご当主もはるばる香川からお見えで、ご挨拶ができた。ご本人は英文学の先生だが、古典籍の継承には非常にご理解がある。会場では展示コーナーがあり、京都産業大学所蔵の競馬(くらべうま)関係資料が展示されていた。立派なものだった。
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2022年11月12日

多田南嶺と八文字屋

堅牢で100年は持ちそうな汲古書院の『八文字屋本全集』の完結から20年以上経つ。学界への貢献は計り知れない。だが、全集完結以来、「八文字屋」を冠した研究書は、寡聞にして知らない。このたび、本家の汲古書院から、ついにそれが刊行された。神谷勝広さんの『多田南嶺と八文字屋』(2022年10月)である。南嶺は、八文字屋の重要な「代作者」で、南嶺研究なしに、八文字屋研究はない。ちなみに南嶺についても、古相正美さん以来の研究書ということになるのではないか?
本書はまず南嶺・八文字屋本研究史を振り返る。これは非常に有益。今後の浮世草子研究には必読になる。そして第一章が「多田南嶺」。まずは伝記的に押さえられるところを、実証的にひとつひとつ潰していくというやり方。生年、俳諧、淡々との関係、八文字屋との関わり、尾張時代、師系、と白話小説への意識。問題点・疑問点をまず明示し、資料を提示してそれを解きほぐす姿勢は一貫している。無駄のない、そっけないとさえ思える文章は禁欲的である。南嶺浮世草子の検討でも、モデル論に力点を置く。
後半第二章は八文字屋。まずその経営、その基幹出版物である役者評判記、劇書、絵本、挿絵の様式、挿絵典拠論と続く。
そして結章が、書名と同じく「多田南嶺と八文字屋」。全体のまとめにあたる。
南嶺のことにしろ、八文字屋にしろ、なにか調べたいと思ったら、まずこの本に就くということになる。
本書には、これからの課題も散りばめられている。長谷川強先生の、浮世草子研究への思いは、確実に受け継がれ、次世代へのバトンも準備されているのである。
 本書の奥付にも明記されているように、神谷さんは2020年に同志社大学を退職された。在職中もその仕事の速さには瞠目していたが、退職後はいっそう専心されているようである。2021年12月には『近世文芸とその周縁ー江戸編ー』(若草書房)を上梓、1年もたたずに本書、さらに、「近世文芸とその周縁」の上方編も準備されているという。どれだけのペースで研究書を今後出されていくのだろうか。
 また全集が整備された作者・本屋の研究ということについても考えさせられる。八文字屋全集よりもずっと早く完結した洒落本大成を使い倒した洒落本の研究書はまだ出ていない。WEB化で、全集のあり方も今後は変わってくる。いま刊行中の全集についても研究が続々出ることで、完結へむけての機運が高まることを期待したい。
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2022年11月07日

学会記(同志社大学)

2019年秋以来となる対面(オンライン併用)での日本近世文学会が同志社大学で、11月5日、6日の両日開催された。
私も対面参加したが、参加した方が予想の2倍くらいいて驚き、とても嬉しかった。
申し込みが160名、実際に足を運んだ方も130名いたという。オンライン申し込みが120名。
今回、参加費を徴収したにもかかわらず、オンラインを含め280名が申し込み、対面参加がオンライン参加を上回ったのである。
いかに、学会員が対面の学会開催を待ち望んでいたかがわかる。
懇親会は、懇談会と名称を変え、アルコールはなし。それでも100名が参加し、いつもと変わらず楽しそうな歓談の輪がいくつも見られた。
私も多くの人を話しが出来、旧交を温めることができて幸せだった。対面だからこそ痛感するみなさんの研究への熱意、対面だからこそ得られる貴重な情報、対面だからこそ痛感する自分の怠惰・無知。そしてがんばらないとな、と言い聞かせるのは、院生時代と少しも変わらない(←成長がない!笑)

初日のシンポジウムは、演劇を起点とする越境・交流というテーマで、5人のパネリスト、2人のディスカッサントが登壇。
それぞれの研究を通して、越境・交流の事例報告をおこなった。「越境」「交流」という言葉が多義的なため、全体としては拡散的な議論になったが、そこがむしろ面白かったとも言える。個別の発表には学ぶところが非常にたくさんあったし、久しぶりの対面議論ならではの「空気」(としかいいようのない雰囲気)を実感できた。そして、乱反射する議論を見事に捌いた日置貴之さんの手腕、すばらしい。

日曜日の発表7本は、新人・中堅・ベテランとバランスのよい布陣で、質疑応答の時間をしっかりとっていたため、それぞれの発表の意図や意味が、議論をきいてより深く理解できた。この質疑応答にも、対面のよさが表れていたと思う。同時期に開催のタイミングとなった源氏物語展示もよかった。すぐ近くの冷泉家が秋の特別展観で開いていたので、そちらに出かけた人もいたようだ。

それにしても、今回、ハイブリッドという困難な開催方法に途中で変更されたにもかかわらず、短期間で準備された開催校同志社大学の山田さん、大山さん、事務局の池澤さん、日置さんをはじめ、大会実行組織のみなさん、同志社大学の学生さんに、心から感謝したい。

学会終了後は、かねて予定されていた昨年12月に行われた雅俗シンポジウムの打ち上げを京都らしい某所で。めちゃくちゃ楽しかったです。
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2022年11月03日

教養としての日本古典文学史

村尾誠一氏『教養としての日本古典文学史』(笠間書院、2022年11月)。
村尾氏は東京外国語大学で長い間教鞭をとられていて、留学生と日本人学生の合同授業の経験を元に、この本が書かれたという。
そのようなわけで、教科書的な性格が強いとはいえ、ひとりで古典文学史を書くというのは、大変なことである。
しかし、文学史というのは、理想としては一人で書くべきである。それを実践しているのは、並大抵のことではない。
特徴としては、世紀別編成になっていること。岩波講座日本文学史と同じ方法である。これも国際的な教科書ということを意識されているからだろう。
不思議な縁で、本書を手にする事ができたことに感謝している。
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2022年10月31日

百人一首の現在

 『百人一首の現在』(青簡舎、2022年10月)を、執筆者複数の方の連名でご恵投いただいた。本ブログでも既報した通り、近年、田渕句美子氏の立論により、『百人一首』は藤原定家の撰ではない、ことが確実になりつつあり、それを踏まえて、『百人一首』と『百人秀歌』と、その両者の関係、撰者、本文、伝本、注釈、研究史を見直し、新たな展開へと導こうする重厚な一冊が本書である。中川博夫・田渕句美子・渡邉裕美子三氏の編。執筆者は編者の他に久保田淳・小川剛生・田口暢之・久保木秀夫・木村孝太・川上一・加藤弓枝・吉海直人・渡辺泰明・山本皓葵・平藤幸・齋藤瑠花・小林賢太(敬称略)。
 田渕氏「『百人秀歌』とは何か」は、既発表の二論文(前論文)に続いて、『明月記』の文暦二年五月二十七日の記事が「百人秀歌」の成立を述べる記事であることを改めて指摘、この記事を「百人一首」のことだとする樋口芳麻呂氏の推測(「百人秀歌」から短期間のうちに歌の出し入れをした結果が「百人一首」であるという説)を「アクロバティックな仮定が先行しており、残念ながら殆どあり得ないであろう」と断じる。田渕氏は「明月記」にみる定家の冷静な状況把握や『新勅撰集』の詞書の分析などから、定家は慎重に物事を進めたとする(樋口説のような感情的とも思われる性急なふるまいはしないということだろう)。田渕氏の前論文は「百人秀歌」は献呈する相手宇都宮蓮生に着目し、献呈相手を意識して編纂されたゆえに、後鳥羽院・順徳院の歌が載せられないのは当然だとした。今回は「百人秀歌」の諸問題についてご自身の見解を述べながら、他の秀歌撰においても献呈先・目的を配慮して選んでいることを確認している。
 本書の執筆者はほとんどこの田渕説を認めているようである。樋口説を蒸し返すのではなく、新たな論拠による有力な反論があれば一層この百人一首成立論は盛り上がるだろうが、いったんこの説が定説として落ち着きそうな状況のようである。知らんけど。
 これまで『百人一首』と『百人秀歌』の撰者についてどういう研究がなされてきたかを知るには、田口暢之氏「『百人一首』と『百人秀歌』の研究史」がある。前近代の説の紹介、論拠となってきた資料の整理、主要な説の要約と親切な記述。伝本と本文については久保木秀夫氏「『百人一首』『百人秀歌』の伝本と本文」が、「『(百人)一首』については」伝本・本文研究が「実はほとんど為されてこなかった」という衝撃的?な冒頭部からはじまり、「通行の本文」と言われるものが何を以て「通行」とするのかもわからないという状況を明らかにし、版本や小倉色紙にも言及する。これからどう調査すべきかを示す「『百人一首』要調査伝本一覧抄」は、格好の指標であり、伝本研究の出発地である。
 とても全部の論考に触れられないし、コメントする能力もないが、私の守備範囲の立場から言うと、やはり加藤弓枝「絵入百人一首の出版ー女子用往来物を中心に」は逸することができない。先行研究をしっかり踏まえていただいていることを含め、版本絵入百人一首について何か調べる必要があれば、まずはこの論文に帰ればよいという安心の場所ができた。書籍目録では「歌書」扱いの絵入百人一首というのも重要な指摘。私も調査に参加したホノルル美術館レインコレクションには、すごい数の絵入百人一首があって、調査を指揮した中野三敏先生が、それだけで一つの分類を作ったくらいである。本の外見から言えば、これらはまあ紛れもなく女子用往来だろうと思われる。江戸時代の女子に最も読まれたテキストは『百人一首』に違いない。加藤氏が提言するように、江戸時代の女子の学びを明らかにするには、まずは合本型を含めて、この女子用往来としての百人一首の全貌を押さえなければならないだろう。
 巻末中川博夫氏の「『百人秀歌』を読む」は圧巻。単なる注釈ではなく、定家の選歌の背景を丁寧に説明している点が秀抜である。数ある『百人一首』注釈と、一線を画す注釈、つまり選者定家を前面に押し出した注釈と言えるのだろう。
 ちなみに「百人一首の現在」ではなく「百人一首研究の現在」ではないのか?という声があるかもしれないが、いえいえ、漫画や国語教科書にもちゃんと触れていて、百人一首研究をふくむ百人一首の現在、なのである。
 まったくのど素人が、えらそうに評してしまいました。ごめんなさい。
 
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2022年10月14日

京都国立博物館「茶の湯」展

 京都国立博物館で開催されている「京に生きる文化 茶の湯」展。まあまあじっくりみてきました。「茶の湯」ー私にはちょっと遠い世界ではありますが、江戸時代の文学・文化を研究するものには、スルーできない文化です。この展示は、茶碗など茶に関わる陶器・磁器、茶掛けになる書画、茶事が描かれている絵巻が、テーマに即して自由なセンスで展示されている。非常にいい展示でした。
 国宝の曜変天目は23日までの展示。人が少なくてじっくり拝見できた。古い茶器の味わい、輝きを実感できる展示ではあった。また、茶器の素晴らしさもさることながら、片隅に描かれた茶事を見過ごすことなく展示された絵巻や屏風の数々、これはよかった。意表をつかれた感じ。茶の歴史と美術史と文化史の融合みたいな。それにしても国宝・重文だらけの見応え十分の展示、さりげなく言経卿記の自筆本。自分的にはおお〜っと。そして、今なら全然混んでいません。お勧めです。そして今回の目玉のひとつは、多分待庵の復元でしょうか。ビデオ展示でもこれやってました。復元にあたって非常に細かく配慮されていました。お金もかかっているぽい。意外にもこの復元茶室も人だかりはなし。もうひとつ秀吉の黄金茶室は1994年に復元されたものらしいですが、これはどこかで、多分山口県立美術館で見たことがありました。
 そして、私的には光格天皇下賜の「旅用茶道具」一式ですかねえ。尼寺の宝鏡寺に下賜されたもの。光格天皇の皇女が門跡として入っているのでその時のものかもということです。

 
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2022年10月11日

古今和歌集

備忘録。こんな感想文を晒すのも恥ずかしくないほど馬齢を重ねております。角川文庫で『古今和歌集』通読。いま週3回ほどお仕事があるので、電車に乗ることが多くなった。そこでお供に古典中の古典である『古今和歌集』を持ち歩いていた。少し必要もあって。で、思うところあって巻7から読み始め、巻20まで読んで巻頭に戻り、巻1から6の四季の和歌を読んだ。以下はほんとうに一読者の感想。学術的な根拠はまったくない。
季節の歌が読みやすい。すっと情景も心情もはいってくる。しかし巻7以降は結構技巧的で、考えながら読まねばならない歌がしばしば。それにしても恋の5巻というのは多い。春夏秋冬で6巻なので、ほぼそれに匹敵するわけだ。上田秋成が倫理的観点から「多すぎる」と非難したが、私も正直いささか食傷気味。いや恋の只中にある人だったら、共感の連続なのかも。そして、そこが『古今和歌集』なのだろうな。しかし、なぜ食傷気味かというと、恋するつらさみたいなものを理屈(むずかしい比喩)で歌ったのが多いからかな。夏の素材というかコンテンツはほぼホトトギスだけ。秋はバラエティに富むけれど、松虫はあっても鈴虫の歌はなかったような。きりぎりすはあるんだけど。これは個人的に重要なこと。全体に古今集は、そもそも題号がそうなのだが、時間の流れを感じさせる。あるいは、昔をしのぶとか。その一方で、旅情のようなものが少ない。あくまで個人の感想です。
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2022年10月04日

歴史学のトリセツ

小田中直樹『歴史学のトリセツー歴史の味方が変わる』(ちくまプリマー新書、2022年9月)。ちかごろ評判で、2週間もたたずに重版が決定したという。
考えてみると、大学で歴史(世界史)を学んだのは45年も前。それからは、興味深そうな本をつまみ食いしたくらいで、歴史学の考え方の流れがわかっていない。日本史はまだ自分の研究の隣接分野だから、いやでも目にはいってくるが、世界史となるとフォローできていない。大学入学のころは西洋史を学ぼうと、授業も受けたし、本も読んでいた。方法的には、マルクス主義、大塚史学、その後アナール学派など授業や本で学んだ。その後、世界システム、グローバル・ヒストリー、ジェンダー史学といろいろ潮流があるのはなんとなく知っていても、それらの相互関係とか流れとか、その背景とか、哲学との関係とか、よくわかっていない。そんなことをわかりやすく教えてくれる本があればね〜、と思っていたところ、この本の噂を聞いて、早速本屋に行って入手。あまりにも読みやすくて、1時間あまりで読破。非常に多くのことを学んだ。世界の史学史をこれだけわかりやすく語れる才能はすごいと思う。
 19世紀なかばのラカンの登場から最近の潮流まで。ラカン史学は「それは実際いかなるものなのか」を明らかにすることが歴史学だとした。実証主義である。記憶にたよってはいけない。できるだけ公文書でそれを明らかにする。その公文書が正しいかどうかを資料批判で検証する。これが歴史家の仕事、歴史研究のパラダイムだった。それは「記憶の排除」・「ナショナルヒストリー」・「欠如モデル(歴史研究者が知識の欠如している非専門家に教えるというスタイル)」を招く。しかし、そのやり方で取りこぼすものは少なくない。「ナショナルヒストリー」では見えてこないものを批判する「世界システム論」。公文書だけではわからない労働者や民衆の歴史を掲げる「労働史学」・「アナール学派」、そして日本の比較経済学史が登場するが、そこでも科学を標榜する実証主義が揺らいだわけではない。歴史学は科学だという主張をする限りはそこから離れらないというわけだ。
 だが、そもそも、そのような歴史学は本当に有効なのか?「言語の恣意性」を前面に掲げると、「事実」とは、とりあえずの、ナンチャッテ「事実」ではないのか。歴史学自体に根源的な疑問を投げかけるポストモダニズムの嵐は歴史学にもやってきた。
歴史学者が妥当とみなす手順に従って明らかにされ、実際にあったと考えてよいと大多数の歴史学者が考えていることやモノ。それらは実は言語先行で作られたものではないのか・たとえば「労働階級」という言葉が先にあって、「労働階級」という実体ができるとか。ここらあたりの話は、文学にも大いに関わるのでとりわけ面白い。たとえば「雅俗」というパラダイムもそうで、「雅俗」という概念がさきにあって、さまざまな文学・芸術がその概念に収められるというようなことがあるだろう。身近な問題として読める。
しかし、歴史学に根源的な疑問を投げた、言語論的転回を、大部分の歴史学者は無視した。それはそうでしょうね、歴史学自体が否定さえるのだから。
ナショナルヒストリーに対する反省から生まれたグローバルヒストリー、「記憶の排除」の反省から出てくる記憶研究、「欠如モデル」に対して万人が知識の提供者かつ受容者であるとするパブリックヒストリー、そういう新しい考え方が現在進行形で語られる。それでもやはり今でも強いランケ学派、やっぱりそうでしょうね。
とにかく語り方が抜群にうまい。そして流れがものすごくわかりやすい。プリマー文庫だからという次元ではなく、わかりやすく語る技術がすごい。あえていえば、あまりにもわかりやすいのが怖い。でもやはり、「文学史」を考える者には、非常にヒントを与えてくれる著作だと思う。
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2022年10月02日

The Heroes

兵庫県立美術館で、ボストン美術館所蔵の刀剣(鐔も)と武者絵を展示する展覧会が行われています。
題して”Heroes"
神代から江戸後期の京伝・馬琴の小説の登場人物まで、さまざまな「武者」の姿がそこにはありました。
土蜘蛛や鬼の退治、演劇でも有名な戦いの名場面、弓の名人・・・お馴染みのイメージが次々と展開していきます。
定番になっている画題は、ほとんど網羅されていて、まさしく「武者絵の歴史」と称するに足る展示。さすがボストン美術館。
しかも撮影自由は嬉しいですね。
相当量の武者絵を見て、いろいろなことを考えさせられました。浮世絵といえば、美人絵、役者絵、風景画がすぐ思い浮かぶのですが、ヒーローたちを
描いた武者絵の需要は相当あったんだろうなと。その背景となっている軍記や時代物、これがやはり江戸の読み物や演劇の中心なんだろうなと。
武者絵には怨霊との対峙の場面もよく出てきて、「幽霊といえば女」というイメージもこれを見ていると、いやいや、戦いに敗れた男の幽霊もたくさん。
怪談を考えるヒントにもなりました。
頭ではわかっていても、やはり実物を見ると実感できます。
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2022年09月29日

伊藤一彦『言霊の風』

 久しぶりに歌集一冊丸々読んだ。懐かしい感覚だ。伊藤一彦さんの第十六歌集『言霊の風』だ。
 多くの賞を受賞し、今や日本を代表する歌人の一人である伊藤さん(お会いした時は先生と呼んでいるがここでは伊藤さんと書く)の七十代半ばから後半にかけての歌集である。妻がお世話になっていた関係で、私も親しくさせていただいていたが、たぶんここ十年ほどはお会いしていなかった。お酒を飲み交わして、伊藤さんほど愉快な相手はめったにいない。文学や人生や哲学のようなことを朗らかに語り合える。伊藤さんは宮崎の高校の教員でもあった。教え子で伊藤さんを慕っている俳優が堺雅人で、お二人で共著も出しておられる。
 『言霊の風』は石牟礼道子が日向弁を称した言葉だという。この歌集はまさに「言霊の風」と呼ぶにふさわしい。思考する歌人である伊藤さんの面目躍如である。自然・世界・社会を見つめ、そして家族・友人に語りかけ、自分自身へと深く降り、時に古典と対話するその言葉の重たくも優しく吹いている感じである。「公園の蛍光灯の切れかけの点滅に見入り去らぬ老いあり」。伊藤さん自身も、老いを実感し、時に人生を振り返る。平成の年月を年ごとに振り返る連作も、私自身の三十代後半から五十代への重なるので感慨深く読んだ。酒好きの伊藤さん、やはり酒好きの若山牧水はもちろんだが、その子旅人と大伴旅人を重ねた短歌も。最近、大伴旅人の有名な酒を讃える歌連作について、考える機会を与えられていた私にとっては響いた。ちょっと縁を感じて嬉しい。
 チャンスがあれば、この1冊を肴にぜひ一献といきたいところだ。
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2022年09月22日

上野洋三先生

 上野洋三先生が亡くなったという知らせが届きショックを受けた。芭蕉を中心とする俳諧研究、さらには和歌研究にも大きな業績を遺された。
 九州大学で学部生のころから井上敏幸先生に大変お世話になっていた私は、井上先生のご学友である上野先生には比較的若いころからご教示を受ける機会があった。井口洋先生とともに、日本近世文学会で同時にデビューしてからの付き合いだ、とうかがったことがある。三先生は年齢も近い。そのころ上野先生は、夏休みに九州にやってきては井上先生と調査旅行するということをやっていて、それを楽しみにしている風であった。
 私が助手の時か、山口大学に勤務し始めたころか、はっきり憶えていないが、臼杵市立図書館を中心に、大分の図書館を回る調査の旅に、私も同行させていただいたことがある。上野先生は、大阪からフェリーを利用して自家用車で来られていた。トレードマークの和服ではなくカジュアルな洋装であった。先生が車を運転されているのを初めて見て、イメージと違うなあ、と思ったものだ。車はフォルクスワーゲンの丸っこいやつだったと思う。そして、日出(ひじ)の図書館に向かったのだが、到着時だったか途中で昼食を取った時だったか、上野先生の車のバッテリーが上がってしまった。その時の先生の茫然として、途方に暮れた様子も、それまでみたことのない表情だっただけに印象に残っている。車は親切な方がブースターケーブルで繋いでくれて、無事エンジンがかかったのだが。
 こういう思い出が蘇るのは、上野先生が自らにも、他人にも厳しく、学問の鬼のようなイメージがあったのに、案外に人間的なところがあったのでホッとしたからかもしれない。お酒の入った時には、はしゃぐような可愛いところもあって、だんだん怖くはなくなってきた。「ジュリー(沢田研二)は美しい!」とおっしゃっていたこともあったような。
 『雅俗』を立ち上げたころには、怖いもの知らずというか、「同人になってください」と頼み込み、ご快諾いただき、論考をお寄せいただいた。
 思い出を手繰り寄せれば、いろいろ浮かぶのだが、やはり若い頃に読んだ『芭蕉論』の所収の諸論考に痺れた経験を思い出さずにはいられない。とりわけ「「も」考」のインパクトは忘れられない。さらに俳諧を研究するには和歌研究が必要だと、堂上和歌の資料整備や歌論研究に注力し、近世和歌史の新たな地平を開く『元禄和歌史の基礎構築』を著された。さらに中尾本『奥の細道』(芭蕉自筆とされる)を世に知らしめた功績は多くの人の知るところである。
 上野先生は「論の人」と見られがちだが、徹底的な調査と厳密な本文研究の上に立つ論だった。臼杵でご一緒したころ、40歳前後だった上野先生は、たしか反古紙を自分で製本された調査ノートを持参されていたが、それは調査箇所別に作られたものだった。また、どんなに疲れていても、酔っ払っていても毎日和歌十首を必ず翻刻することを日課としているということもうかがったことがある。論文に影響を受けるという意味では、私の中では五本の指に入る方だった。それが甚しかったころに、『芭蕉、旅へ』という岩波新書をご恵投賜り、便箋10枚くらいの感想を書いてお送りしたこともある。
 あれやこれやの記憶はもしかすると部分的には間違っているかもしれないが、私の中の上野洋三先生は、そういう感じである。心よりご冥福をお祈りします。
 
 
 
 
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2022年09月10日

百人一首の撰者は藤原定家にあらず

 国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演で、田渕句美子さんは、『百人一首』の撰者が藤原定家ではないという内容の講演をされ、オンラインで公開されていたため、私も興奮しながら拝聴していた。文学史を塗り替えるこの衝撃的な説は、2020年に既に論文として発表されていたようであるが、この基調講演ではじめて知った人も多かっただろう。私も噂には聴いていたが、元の論文を読んでいなかった。しかし、この説はまだまだ知られていないだろう。なにしろ、教科書の文学史を書き換えなければならないレベルの話で、なかなか信じられない人も多いのではないか。
 さて、岩波書店のPR雑誌『図書』9月号で、この説がコンパクトに、一般読者にもわかりやすく、田渕さんによってあらためて書かれている。わずか4頁であるが、必要な情報がきちんと収められた文章となっている。題して「『百人一首』をゼロ時間へー藤原定家が撰者ではないこと」。「ゼロ時間へ」は、アガサ・クリスティの傑作ミステリから来ている。
 『百人一首』によく似た『百人秀歌』というアンソロジーがある。約70年前宮内庁書陵部で発見され、近年冷泉家でも見出された。『百人一首』とは97首が重なるが、百人一首の巻末二首、後鳥羽院と順徳院の歌が『百人秀歌』には採られていない。鎌倉幕府に反旗を翻し、敗北した後鳥羽院とその子順徳院の歌を、定家は『新勅撰集』に入れられなかった。そこで『百人一首』に二人の歌を新たに入れたのだという説がこれまで有力だったという。 
 しかし、『明月記』に載る、宇都宮頼綱(蓮生)からの依頼で「古来に人の歌各一首」を送ったという記事を田渕さんは改めて検討、定家の嫡男為家の養父で幕府の有力御家人である蓮生に、贈呈するのに、幕府と戦い隠岐と佐渡に流されていた後鳥羽院と順徳院の歌を、定家が選ぶはずはないだろうという。『明月記』の記事は、彼らの歌の載らない『百人秀歌』のことを指すのだろうと。さて、そうなると小倉山荘の障子に飾られたとされる『小倉百人一首』伝説も疑わねばならない。同時代にそのような資料はなく、没後百二十年ほど百人一首撰者について言及する文献はないのだという。
 さて私が読んでいて「その通り!」と思わず拍手したくなったのは、「これまでの『百人一首』研究には、蓮生への贈与品という視点がほとんど欠落していた。定家の個人的な心情を盛る器ではないのだ」というくだりだ。ここ十年ほど私は、秋成の写本作品を見ていくうちに、そもそも写本とは特定の誰か(複数の場合もあるし、神に向けて、祖先や子孫に向けてというのも含める)に向けて書かれたものであり、想定された読者が誰かということを含めて作品を読解しなければならないと私なりに感得し、あちこちでそのことを言ったり書いたりしている。まさに田渕さんの着眼はそこであり、実に頼もしい視点なのだ。
 ゼロ時間へ、つまり当時の記録だけを辿って憶測を削り落とした時、「百人秀歌』が定家撰、『百人一首』は鎌倉時代中期以降に後人の誰かが手を加えて編纂したもの、ということが明確に浮かび上がる」という。
 実に明快で、これを否定するのは難しいだろう。しかし、学界がこの説を受け入れ定説となるには、もう少し時間がかかるかもしれない。できるならば、大学はもちろん、百人一首を教える小中高の先生も、この短い文章を読んで、生徒たちに一言付け加えてほしいと思う。いずれ教科書も書き換えられるだろう。
 小川剛生さんの、「兼好」は「吉田」ではなかったという説(中公新書『兼好法師』)も衝撃だったが、この田渕説は、それと同じくらいインパクトがある。
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2022年09月05日

江戸漢詩の情景

 揖斐高さんの『江戸漢詩の情景ー風雅と日常』(岩波新書、2022年8月)が刊行された。
 揖斐さんの文章は、実に読みやすい。今回の著書もそうである。中野三敏先生や日野龍夫先生が、それぞれ独特の表現、文体をお持ちだったのに対して、揖斐ぶり、揖斐調と呼べるような個性的な文体とはいえない。しかし読者にやさしい、わかりやすい文章である点は、卓越している。
 今回の文章は、江戸漢詩の魅力をさまざまな実例にを示して紹介したものである。「風雅と日常」は、「雅と俗」に置き換えることができるが、あえてそれをしないで、現代人にすぐわかる言葉を用いたのも、揖斐さんらしい配慮であろう。それだけではないかもしれないが、それについてはここでは贅言しない。
 全体としては、体系的な著書ではなく、エッセイ集の趣なのだが、所々に、私にとってはハッとするような指摘があって、大いに学ばせていただいた。それは漢詩のことにとどまらない。俳句や小説など自在に、適確に引用する。
 「もうひとつの詩仙堂」の章では、詩仙の選択をめぐる林羅山と石川丈山の交流を描く。ふたりが同年生まれだったというのも意外。丈山への意見を伝えるのに、息子の読耕齋に下書きをさせていたという話も、最近考えさせられている「作者とは何か?」の問題に連なるものである。
 だが、読み進めていくうちに、この本は漢詩の情景もさることながら、それ以上に「漢詩人の情景」を見事に切り取っているとの感をいだく。四角四面であるか、破天荒であるか、なんとなくその二択で、漢詩人の多様なあり方をうまく想像できないでいる人も多いのではないか。この本を読めば、身近な家族に対する情や、食に対する思い、遊蕩的な生活などなど、漢詩以外の手紙や日記から、漢詩人のさまざまな日常が浮かび上がる。その結果、日常を超えて風雅をめざそうという志もより理解できる。本書は、「漢詩人たちの肖像」を描いた本だとも言えるのだ。
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