2019年04月29日

日本漢文学研究の新潮流

 さて、2019年1月に勉誠出版から刊行された、滝川幸司・中本大・福島理子・合山林太郎編『文化装置としての日本漢文学』は、今後の日本漢文学研究者必携の1冊であると断言できる。
 国文学研究資料館のNW事業(日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」)公募型共同研究である「日本漢文学プロジェクト」の共同研究成果報告書という位置づけになるだろうが、現在慶應大学の合山林太郎さんが大阪大学在籍時に代表者となって進めてきたプロジェクトであって、NW事業に少し関わってきた私としては、立ち上げの熱いシンポジウムから見てきているので、このような刺激的な一書が出来たことに感慨を禁じ得ない。
 まず、大阪大学のスタッフ・OBが執筆者の過半数を占め、表紙にも阪大ゆかりの懐徳堂学主中井竹山の有名な後ろ向きの肖像を使っていただいているということ。阪大漢文学の層の厚さを見た。教え子の康盛国さんが論考を寄せているのも嬉しい。
 そして、本書の切り口の新しさ。通史的な論集になっていることも大いに有益だが、日本漢文学研究の最近の潮流を反映して、東アジア漢文交流というテーマを立てていること(日本と朝鮮、日本と清)、幕末維新における和歌と漢詩の交錯の模様、さらには漢学教育への視点に加え、特筆すべきなのは、世界の漢文学研究の現状を紹介していることで、英語圏・韓国・台湾の三つのケースが紹介されている。少し前には考えられないことだが、現在漢文学研究に、国内外を問わず優秀な人材が集まり、英語・中国語・日本語の壁を易々と越えて議論できる人材が輩出してきたからである。
 また福島理子さんの「エクソフォニーとしての漢詩」という視点。多和田葉子の著作から知られるようになったキーワードを日本漢詩文に応用し、和臭というネガティブな評価を、ポジティブに考える視点を打ち出している。鷲原知良さんもその観点からの論。
 そして抜群に面白いのが、マシューさんの、英語圏における日本漢詩文研究の現状分析である。英語圏で議論されている、そもそも日本漢詩文とは何かに関する様々な最近の考え方は、非常に考えさせられるものであった。

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2019年04月28日

近松時代浄瑠璃の世界

 韓京子『近松時代浄瑠璃の世界』(ぺりかん社、2019年3月)。
 前のエントリーからの繋がりで、この本を取り上げる。
 長島弘明さん門下であり、しかも大屋多詠子さんと同じ青山学院大学に奉職された韓京子さんの論集。
 私は近松浄瑠璃の論文について、専門家として評する資格はまったくないので、全く個人的な感想であることをまずお断りしておきたい。
 近松といえば、どちらかといえば世話物が人気であろう。義理と人情の葛藤に悩む人間の真情、日常の中に突然やってくる陥穽のリアリティ・・・・、そういう近代的な個人の問題が、先取りされていることを評価されてきたように思う。
 しかし、江戸時代の浄瑠璃の本道はやはり時代物なのだろう。近松においてもしかりではないのだろうか。
 韓さんの論集は、時代物の考察の中でも、まず「趣向」を問題にしている。「趣向」とはすぐれて近世的な問題であろう。つまり、近松を近世的に読む、というのが韓さんの一貫した姿勢であり、それはやはり長島さんの指導の賜物ではないかと思うのである。

 
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2019年04月27日

馬琴と演劇

 日本近世文学研究のいまの30〜40代で活躍している人たちを思い浮かべると、前エントリーで書いた小林ふみ子さんもそうだが、長島弘明門下の人が多く、またそれらの人々がほとんど博士論文を中心にして、研究書を既に出版していることに改めて気づかされる。これも長島さんの指導の方針なのだろう。まもなく某社から、長島さんの東大退休記念の、ユニークな本が出るときいたが、そのラインナップを見ても、これだけの研究者を育てたのか!(まあ勝手の育つ面もあるが)、と驚かされるのである。
 その一人が大屋多詠子さんである。かつて大高洋司さんの読本の研究会でご一緒して以来は、学会以外でお会いすることはなかったが、今回、立派なご本を出された。
 これも新刊紹介としてはちょっと遅れていますが、花鳥社から出た『馬琴と演劇』という文字通りの大著である。およそ700頁。そのうち馬琴と演劇の関わりを正面から論じたものが10本ほどある。いつのまにこれだけ書きためていたのですね。
 附録として、歌舞伎台帳『園雪恋組題』翻刻、『加古川本蔵綱目』影印・翻刻・注釈。そして文化年間読本演劇化年表は労作である。
 一口に演劇との関係といっても、演劇から受けた影響、読本の演劇化、その背後にある演劇界・出版界の状況など、さまざまな問題がある。河合真澄さんの論集が屹立していた感があるが、それに続く論集の誕生である。
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2019年04月26日

へんちくりん江戸挿絵本

 小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』(集英社インターナショナル新書、2019年2月)。この本も2ヶ月前に紹介を予告していたものです。大変遅くなって申し訳ございません。
 小林さんも今や中堅。国際的・学際的に活躍している女性研究者。これからの江戸文化研究を引っ張っていくことになる一人である。
 私の偏見かもしれないが、戯作研究者は、戯作を真面目に扱い、論じる方が多い。あの方も、あの方も・・・。
 その中で、文章が軽やか〜な感じがするのは鈴木俊幸さんあたりだが、小林さんも明るい文体で、戯作の一般書を書くのにぴったりである。
 縦横無尽に江戸のパロディ絵本の面白さを説いてゆく。中野三敏先生のいう、真面目とふざけの弥次郎兵衛。つまり、真面目な本がびくともしないくらいの存在感をもってリスペクトされているがゆえに、パロディは安心してそれを茶化せるという構造が、この本を読むと、具体的によくわかる。
 神仏・思想・学問・文学・・・・と章立てされた中に並ぶのは、江戸時代に理屈無しに仰ぎ見られていたものたちとそのパロディである。ただ、「へんちくりん江戸挿絵本」というタイトルは、ちょっと惜しい感じが個人的にはする。この本はパロディ戯作から、パロディされる側の江戸時代の文化を照射する仕組みになっている。へんりくりんな本をただ紹介しているだけではないからである。
 『へんりくりん挿絵本から見る江戸』ってのはどうでしょう?は?ダサい?やっぱりそうですか。すみません。撤回します。
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2019年04月25日

コレクション日本歌人選 蕪村


揖斐高『コレクション歌人選65 蕪村』笠間書院、2019年1月刊。
蕪村を「仮名書きの詩人」と言ったのは上田秋成。これは上手いコピー。当時の「詩人」とは漢詩人のこと。
そして、句を読み解くのは、漢詩の専門家の揖斐高先生である。この人選絶妙。揖斐先生、50の句を、「故郷喪失の自画像」「重層する時空」「画家の眼」「文人精神」「想像力の源泉」「日常と非日常」の6つに配した。とりわけ、蕪村句の時間に注目している点、面白く読んだ。そして「想像力の源泉」に「月の宴秋津が声の高きかな」の句。「酔泣の癖」(泣き上戸)のあった古代の人物秋津を想像して創作した句だが、この秋津、『春雨物語』の「海賊」に出てくる。これを重視した日野龍夫先生の「海賊」論(上田秋成と復古)を、思い浮かべてだろう、「海賊」のことに触れつつ評釈している。これは私としても嬉しいのだ。日野先生も、タイガースと同じくらいに蕪村が好きだったと、蕪村を論ずる文章で書いておられたな。おふたりとも漢詩文研究の専門家だが、ロマンチスト(これは私の勝手なラベリングだが)で、蕪村好き。いろんな意味で、じんわりとくる本である。
ということで、少し前に出た本を、ぼちぼちとまた紹介してゆきます。
【追記】ご指摘を受けて、文章を一部削除しました。実は歌人コレクションに名を連ねた俳人は蕪村だけ、などと誤った情報を流していました。伊藤義隆さんの『芭蕉』が第2期にありました。伊藤さん、ごめんなさい。m(_ _)m
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2019年04月12日

『三獣演談』について

 いくつか前のエントリーで『三獣演談』の翻刻を刊行したという報告をしたが、それは是非欲しいという方も本日時点で現れなかったわけですが、少しずつ押し配りしている次第である。明日4月13日(土)は、京都近世小説研究会で、この象と牛と馬の鼎談というスタイルの本書について、報告する予定。題目は「『三獣演談』について」です。
 例によって「奇談」書のひとつで、文学史的位置は重要なんだが、ほとんど知られていない。
 研究会だが、今年度から、場所が京都府立大学になるということである。15:30分から、稲盛記念館2F会議室。
 報告内容は空っぽなので告知するのも気が引けるのですが、このブログが研究実績のメモがわりとなるので書いています。お許し下さい。
 なにか享保十四年の象の来日についてご存じの方は教えてくださいませ。もちろん研究会では、せめておみやげにってことで、翻刻『三獣演談』を配布します。
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2019年04月04日

摂津名所図会は何を描いたのか

 大坂の学校といわれた懐徳堂、その歴代の堂主たち、また近代にいたるまで懐徳堂の維持に貢献してくださった人々の遺徳を偲び,顕彰する「懐徳忌」が、4月6日、午前11時から、上本町の誓願寺で行われる(直近の駅は谷町九丁目)。誓願寺には中井竹山・履軒をはじめとする懐徳堂関係者の墓の他に、西鶴の墓もある。近世文学研究に関わる人は一度は訪れておきたいところですね。ちなみに近隣には契沖の円珠庵、木村蒹葭堂の墓もある大応寺、近松門左衛門のMも、え、こんなところに、という感じであり、近世文学散歩に最適。
 懐徳忌では、懐徳堂や大坂にまつわる講演があるのだが、なんと今年は私がタイトルのような内容で行うことになっている。これまでは運営側だったが、記念会の役員をやめたとたんに、お声がかかったのである。恐れ多いことである。
 小さなお寺の本堂での講演なので上限30名という制限があるが、余席はまだあるらしいので、ここに告知しておく次第。
 ご参加の方は事前に懐徳堂記念会事務局にお電話でご一報いただきたい。06-6843-4830です。
 『摂津名所図会』は竹原春朝斎が一番多く挿絵を描いているが、その他にも何人か絵師がいて、特に丹羽桃渓という絵師は、『摂津名所図会』の中でも有名な絵を描いた画家である。歴史・人物・風俗の絵を多く描いているが、彼を起用したことで、『摂津名所図会』は他の名所図会とくらべて際立つ特徴をもつ名所図会になったように思われる。そういうことをお話するつもり。
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2019年04月01日

再見なにわ文化

「令和」の新元号が発表された。新年度が始まった。本ブログは、相変わらずマイペースで進めてゆきたい。
触れると予告した本について遅れているままになっているが、今日は肥田晧三先生の『再見なにわ文化』(和泉書院2019年2月)について、である。
読売新聞大阪本社版に連載されたものの単行本化。
大阪生まれで、大阪文化についての文字通りの生き字引である肥田先生の、素晴らしい記憶・博識で語られる、江戸から近代にかけての、生き生きとした大阪の芸能や本の話である。先生ご自身の関わりに触れながらの藤沢桓夫や織田作之助らの作家・文化人の話、先生ご自身がハマっておられたOSKや歌舞伎・落語さらにはジャズなどの芸能の話は、目の前に当時が再現されるかのような語りの力である。
もちろん、先生ご自身がご所蔵されている大阪の本に基づく蘊蓄。立版古という珍しい組み立て式錦絵の話、生玉人形や耳鳥斎(画師)についての興味深い謎解きなど、どれを読んでもやめられない面白さである。
とりわけ、上方子ども絵本については、岩波から子供絵本集を出すにあたって、上方篇を我が師中野三敏先生と一緒に編集した経緯が詳しく書かれて、一等興味深く拝読した。
まあ、これらを読むと、自分などが授業や講演で「大阪の文化とは」などとしたり顔で話すのが実に恥ずかしくなり、ゴメンナサイと謝りたくなるってってもんである。いわゆる「お笑い」だけが「なにわ文化」ではない。肥田先生が語っておられるのは、恐らく今の大阪の人も忘れてしまっているような、上品で暖かく、ハイレベルな「なにわ文化」である。
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2019年03月23日

象と牛と馬が知的な議論をする話

2017年度の学部演習の受講登録は2回生のTさんがたったひとりだった。『英草紙』の注釈をするもの。担当をひとりでやるため、あまりに負担が大きいため、授業の目的のひとつである「板本のくずし字を読めるようになる」という学習目標を重視することにして、くずし字解読の訓練の時間を大幅に増やすべく、未翻刻の「奇談」書、『三獣演談』の翻字をすることにした。大学院生のFさんも自主的に聴講してくれ、またくずし字を勉強したいという国語学のM君も加わって読み進めた。この作品、授業で一部紹介したことがあり、「全文読みたい!」という希望もあったので、いつかは翻刻をやろうと思っていたのである。この際、概説と諸本解題を付して刊行しましょうかと提案したらTさんFさんとも乗ってくれて、2018年度は自主的に我が研究室に定期的に集まって読み合わせなどを行った。そして予定より遅れに遅れたが(これは私の怠慢のせいだが)、なんとか年度内に完成した。概説はTさん、諸本解題はFさん。Fさんはこのために、仙台へ、東京へ、天理へ。尾道の藤沢毅さんがやっている読本翻刻シリーズに倣ったものである。この冊子、京都近世小説研究会、上方読本を読む会、6月の近世文学会や授業などで配布予定。是非欲しいという方にはご相談に応じますので、コメント欄にでも。PDF公開もいずれ、と考えている。三獣とは象と牛と馬で、これは享保十四年の象の来朝をふまえ、同年に江戸で出版されたものである。三獣がなかなか知的な議論を展開するのである。
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2019年03月06日

『叢』の終刊、お疲れさま!

『叢』40号が出た。2019年2月。いつもにまして分厚い。表紙の目次を見ると、黒石さんの黒本・青本『太平記綱目』を冒頭に、10本の草双紙の翻刻と研究。その相貌はいつもと変わりない。しかし、一番最後に黒石さんの「ご挨拶」がある。ん、何だろう?
 そこには、終刊の挨拶があった。黒石さんの、振り絞るような言葉が連ねられていた。
 『叢』の創刊は昭和54年である。九州大学の当時の院生たちが発刊した『文献探究』と同じく、手書き同人研究誌だった。『文献探究』創刊メンバーではないが、初期の活動に関わった者として言わせていただければ、『叢』は『文献探究』と兄弟の契りを結んだような、そういう研究誌だと思う。そのころ院生たちを中心とする手書き雑誌は他にあまりなかった。手書きではなくなったが、ともに今も続いている。
 しかし、雑誌を続けていくことはすごくエネルギーを要する。モチベーションを保ち続けるのは至難である。運営・資金繰りも大変。
 『叢』は研究同人誌としては非常に特異である。
 第一に、東京学芸大学関係の方のみで運営・編集・執筆をしている。
 第二に、草双紙の翻刻・研究に限定している。
 これで四十年途絶えることなく雑誌を続けてきたことは、もう奇跡に近いだろう。小池正胤先生・黒石陽子さんのご人徳と、そこに集う学生たちの真摯な学問への志があり、「叢の会」の、研究会としての纏まりが、その奇跡を生んだのである。
 しかし、いよいよ終刊。本当に本当に、ありがとう。お疲れさま、といいたい。
 
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2019年03月02日

白話小説の時代

 丸井貴史さんの『白話小説の時代−日本近世中期文学の研究』(汲古書院、2019年2月)が刊行された。まずは慶びたい。『上方文藝研究』の同人でもあり、遠方から2年連続来ていただいているし、かつては金沢から読書会にも来ていただいていた。そして、授業で『英草紙』を読んでいるのだが、丸井さんが上文に掲載してくれた『英草紙』の解説はとてもいい入門になっているし、また論文にも学生がよく言及するところである。非常にこのごろ助けていただいている。
 さて、この本の意義だが、その書名がよくあらわしているように、十八世紀を「白話小説の時代」と見立てたことである。十八世紀は私も自分の専門とちかいので、大いに議論したいところだ。そういう見方もありだ、と思う。丸井さんのポジションから言えば、そういうことになる。実際、いろいろな要素があるなかで、やはり「白話」だというところは、この本の最後の論文(書き下ろし)で熱く語られている。ここに私の論文をたくさん引いていただいていて有り難かったのであるが、私は、丸井さんの顰みに倣って、近世中期は「奇談の時代」だ!と言いたくなったのですよ。いい意味で刺激を受けた。なにしろ、考えてみたら、書名(巻名)として認められる「奇談」の初出は、白話小説の功績者の岡島冠山の「和漢奇談」なのである。白話と奇談は実は関係が密なのである。
 この本のいいところは、解決には到らないにしろ、多くの問題系を提示しているところである。
 たとえば、都賀庭鐘をはじめ当時の知識人が白話小説を校合した上で小説に取り組むと言うことの意味、ただしその意味は解明されてはいないが。
 また『太平記演義』の読本史上の意義。不遇の作者像の問題と、読本初期の「史」はなぜ太平記ばかりなのかという視点。演劇のことは考えなくてもいいのかな。忠臣蔵とか。というのが素朴な感想である。
 また吉文字屋の浮世草子は実は女性向けに作られたのではないのかという仮説。女子用往来や百人一首(ちなみに百人一首は一種の往来物である)を多く手がけた吉文字屋だから、なかなか魅力的であるが、散らし書きに往来物よろしく読み順番号をつけているという一例だけでは、なかなか仮説の域を出ない。散らし書きの手紙は男が読むものであり、男に教えているとも言えるだろう。
 しかし、素晴らしいのは、そういう魅力的な問題提起が沢山行われているということだ。
 もうひとつは中国白話小説そのものの諸本調査。中国留学の成果を活かして、中国にある本をかなり調査しているし、パリの本も調査している。この諸本調査で、読本の典拠研究はぐっと精度を増すであろう。
 他にも、私にとっては貴重な指摘がたくさんあった。学恩とはこのこと。ありがとうございます。

 ところでこの本のあとがきは、丸井さんの師匠の木越治さんの「中国に行け」という言葉が、彼の人生を決めた話が書かれている。研究者というのは本当に不思議で、決定的な「言葉」や「出会い」によって、その人の研究が運命づけれらるのである。

 
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2019年02月27日

近世戯作の〈近代〉

 山本和明さんの論文集『近世戯作の〈近代〉−継承と断絶の出版文化史』(勉誠出版、2019年2月)が出た。科研による出版助成を受けたものだ。紹介すべき本がいくつかたまっているところだが、出張から帰って来てこの本が来ていて、ありていに言って、すごく嬉しかったので、祝意を込めてポストする。
 私と山本さんとの関わりが深くなったのは大阪に来る少し前からだろう。秋成の遺墨を今に守る谷川家を紹介してくださったところからである。山本さんの担当する市民対象の講座に、谷川家のご親族にあたる方が聴講に来られていたということで、ご紹介を受け、山口から新幹線で姫路まで行き、そこからご親族に車で案内していただいた。山本さんには秋成の論文もあって、もしかすると、そのことで話をしたことがあったかもしれない。記憶は漠としているが、それからまもなく私は大阪に来た。それで谷川家にも浅からぬ縁が出来た。
 しばらくして国文研が谷川家の調査に入ったが、山本さんとは毎年一回2日間、谷川家に残る資料(谷川家は江戸時代眼科医であり、天領である屋度の代官も兼務していた名家なので、文書が多く残る)を十数年、一緒に調査した。また蘆庵文庫の調査でも一緒であった。こちらは20年くらい一緒に活動した。それだけではない。忍頂寺文庫の研究にも巻き込んでしまったし、鹿田松雲堂旧蔵書の調査にもお声がけしてしまった(これは本書にも反映している)。どちらも山本さんの関心のあるところだったからではあるが、私の甘えでもあったのである。家人は山本さんの前勤務先で非常勤をさせていただいており、こちらも感謝である。さらにさらに、国文学研究資料館がらみでも・・・。
実際、大阪で私が曲がりなりにもやっていけているのは山本さんの存在がとても大きいことは事実である。私の恩人のひとりである。
 さて山本さんが国文学研究資料館に移ってからの5年間は、本当にすごかった。歴史的典籍の30万点web公開事業の責任者として、質量ともにこれ以上のない仕事をしてきたといえる。この事業の評価は徐々に高くなってきているが、山本さんの努力が大きい。文字通りの東奔西走、研究ではなく業務としての講演活動がどれだけあっただろう。しかし、その中での博士論文執筆、そして出版。これはやっぱりすごい。ご苦労をよく知っている者として、心からお祝いを申しあげたいのである。
さて、この論文集、近世戯作がどのように明治に受容されたか、というところを、人物は仮名垣魯文を軸に、そして出版文化史を視角として論じたものである。既読のものが多いが、初出時からかなり改稿されているように思う。第二部第四章の「近世的表現としての「序」」を興味深く再読。序という様式が「格」を持っていて、その読みにくい字体にこそ意味があるという指摘には全く同意。この中で拙稿を引いて下さったいるが、私も序についてはいろいろ考えるところがあって、テクストと外部の境界に位置する(私は思うのだが)序は、一部の作品を除いて、読みにくいこともありあまり注目されてはいなかったが、今後無視できない重要な要素であるとあらためて認識した。明治以後もそのあり方が続いているというところを学ばせていただいた。
 鹿田松雲堂のサロンの考察は鹿田さんの御子孫も喜ばれることだろう。お誘いしてよかったとこれも思うのであった。思い出話が大半になってしまったが、本が出版された際に、こういう風に思い出話を書いてしまうのが私のブログのパターンなのです。



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2019年02月22日

四季交加(しきのゆきかい)

 大高洋司さんは馬琴や京伝などをはじめとする読本研究者として知られる。しかしこのたび大高さんが編んだ京伝の『四季交加』は、「江戸の通町に煙草店を構える京伝が店先の「大路」を「交加」する人々を眺め、「四時月日」に分けて綴った」(神林尚子さんの附説より)風俗絵本である。京伝の教養と江戸への愛情、文章の洒脱が遺憾なく発揮された、上品な「戯作」だと言えよう。戯作の研究といえば、「戯作の研究者というのは、真面目な人が多い」という師中野三敏先生の言葉を思い出すのだが、大高さんも非常に真面目な方である。『四季交加』についても、長いこと読み続けてこられていたようであるが、その時間を感じさせる奥行きの深い注釈を、昨年2018年11月に太平文庫の1冊として上梓されていたのである。ご紹介が遅れてしまった。
 京伝といえば、黄表紙などにみる発想の奇抜さ、洒落本にみる人情の機微の描写、読本にみるストーリーテラーぶり、どれをとっても超一流であり、江戸を代表する作者であろう。しかし、近代小説との親和性があまりないため、一般にはまだまだ知られていない。岩波文庫あたりでどんどん作品を出してほしい作者である。
 さて、「四季交加」の注釈。非常に勉強になるのだが、江戸を描くということで、先人平賀源内に多く依拠していることが明らかになっている。また鴨長明が作者に仮託されている『四季物語』も大いに参照されている。今から見ると「パクリ」に見える京伝のこの典拠利用は京伝の十八番であるが、現在とちがって、それも文章術のひとつであるのが近世である。
 京伝にしては地味なこの作品は、商業的にはヒットしなかったが、『江戸名所図会』や『東都歳時記』そして鍬形寫ヨの『近世職人尽絵詞』に継承されているという。影印編と注釈編の二分冊は、影印を読みながら注釈を読める配慮。図版も大きくて味わい深い。
 江戸名所記や江戸年中行事の本の系譜の中に位置づけた神林尚子さんの付説は、上方の名所図会をこのごろちょっと読んでいる私にとっては有り難い指針となった。
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2019年02月21日

科研研究会(人的交流と場)のお知らせ

私が代表者をしている科研研究会のお知らせです。たぶんこじんまりとした会です。
3月2日にお近くにいらっしゃる方で、お時間ある方で、興味のある方は覗きに来てみて下さい。
ゲスト発表者は天野聡一さんです。

科研基盤研究(B)「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」公開研究会 U
日時 2019年3月2日(土) 13:30-17:20
会場 大阪大学豊中キャンパス 文法経本館 大会議室

プログラム
1 加藤弓枝 禁裏御書物所と勅撰和歌集
―出版変遷とその影響を中心に
2 山本嘉孝 光格天皇歌壇と漢詩
― 天明三年九月十三日当座詩歌会を中心に
(休憩)
3 盛田帝子 天皇の和歌空間
−南殿の桜をめぐって
4 天野聡一 五井蘭洲の和学について 
―宝暦期を中心に―

題目は変更されることがあります
※事前連絡不要・入場無料・使用言語は日本語
お問い合わせ先 
大阪大学文学研究科 飯倉洋一 iikuraアットマークlet.osaka-u.ac.jp
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2019年02月19日

いましばらく

大高洋司さん、揖斐高さん、小林ふみ子さん、丸井貴史さんらのご本を紹介したいところだが、いましばらくお待ちいただきたく候。
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