2018年02月26日

近世中後期上方文壇の人的交流と文芸生成の〈場〉

科研研究会を開催いたします。

科研基盤研究(B)
「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」公開研究会

日時 3月3日(土) 14:00-17:30
会場 大阪大学豊中キャンパス 文法経本館 中庭会議室
プログラム
1 勢田道生 高橋図南の有職故実研究
2 盛田帝子 光格天皇と皇后欣子内親王
3 菱岡憲司 小津久足と本居大平――大平添削への反駁
4 青山英正 伊勢の文化的ネットワークと『春雨物語』
―石水博物館所蔵川喜多遠里宛竹内弥左衛門・正住弘美書簡をめぐって

菱岡憲司さんと青山英正さんをゲストにお迎えしての開催です。
公開ですので、興味のある方はご参加ください。とくに事前連絡は要りません。
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2018年02月23日

Facts & Files 歴史研究をする会社

デジタルアーカイブ学会技術部会と人文情報学研究所の主催で、ヨーロッパのクラウドソーシングと日本のクラウドソーシングの現況についての情報交換などを目的とする懇談会が、本日、東京大学情報学環で行われました。まず、私が、くずし字学習支援アプリと、古地震研究会のクラウド翻刻.みんなで翻刻を紹介、そのあとFacts and FIlesのFrank Drauschke さんが、ヨーロピアーナという歴史史料デジタルアーカイブポータルサイトの活動について紹介しました。基本的にはEuが基金を出して運営しているようです。とても興味深いもので、特に第一次世界大戦のさまざまな記録や遺品を集め、公開しているeuropeana1914-1918(今年が終戦100年)、大戦の記憶をみんなで共有しようという壮大なプロジェクトの可能性に大いなる刺激と示唆を受けました。写真・遺品・日記・手紙などのデジタルアーカイブスが公開されています。そのうち特に日記や手紙は、当然ながら筆記体で書かれている「歴史的文書」であり、これを読める人が翻刻して呼びかけているのです。日本の「みんなで翻刻」プロジェクトに似ていますね。
このようなクラウド翻刻プロジェクトは、テーマを決めるとか、イベント性を付与するとか、ゲーム的要素を入れるとか、いろいろ工夫をすることで盛り上がるのではないかという意見が出ましたが、その通りだと思いました。たとえば国文研がクラウド翻刻に参加するのであれば、その豊富なコンテンツを生かした面白いテーマを考えることが重要ではないかと思います。その国文研館長のロバート・キャンベルさんも飛び入り参加して、核心を突いた質疑を行い、実に面白い懇談会となりました。フランクさんとは、英語で少し会話をしましたが、こちらの超へたくそな英語を忖度して理解してくれて、いろいろとコミュニケーションがとれたのは嬉しかったです。赤門前で記念撮影しよう!と言ってくださいました。
 食事しながら、さらなる情報交換を行いました。しかし新幹線の時間が・・・・。しかしフランクさんはドイツの方なので、再会を約して途中退席は残念でした!
 それにしても、Facts & FIles は、歴史研究をする会社なのですね。信じられませんね。

 こちらに紹介されていました。

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2018年02月22日

翻刻プロジェクトについての懇談会で話します。

一昨日は、国立国会図書館関西館で特別講義。世界各地から来られた熱心な研修生と一般の方を相手に、くずし字学習支援アプリのお話をいたしました。そして明日、次のような会でお話をします。ただ、定員に達しているようですね。

デジタールアーカイブ学会技術部会・人文情報学研究所主催
[懇談会] Europeana の翻刻プロジェクトと日本の翻刻プロジェクト
日時・会場
2018/2/23 (金) 15:00-17:00
東京大学情報学環本館 6F会議室
話題提供
飯倉 洋一(大阪大学大学院文学研究科)
「クラウドソーシング翻刻のための基盤形成:日本古典籍の場合」(逐次通訳付き)
Frank Drauschke 氏
共通の歴史を市民の手で – Europeana 1914-1918 と翻刻 (逐次通訳付き)
こちらに案内があります。
http://digitalarchivejapan.org/bukai/gijutsu
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2018年02月20日

「みんなで翻刻」のすごい現況

 おはようございます。本日国会図書館関西館で、「司書と研究者のための日本関係資料研修」の一環として「くずし字学習支援アプリKuLAの挑戦」と題する特別講義を行います(一般公開、ただしすでに締め切っていますが)。その準備で、久しぶりに、クラウドソーシングとして注目を浴びている「みんなで翻刻」のサイトに行ってみました。登録だけしていましたが、はじめて翻刻も1文字だけやりました。(いままで古地震研究会が翻刻して見本として掲載していたものの1頁めの1字を修正)。これにKuLAの開発者橋本さんが「あっぱれ」をくれました。
  さて、「みんなで翻刻」はKuLAと完全連携していますが、「みんなで翻刻」に組み込まれたKuLAは「くずし字学習の基本」と「テスト機能」が、地震史料翻刻用にバージョンアップされています。前者は3部構成になって内容も歴史資料向けに増補、後者は続け字のテストもあり、パワーアップしています。実は私も昨日気づいたんですが(笑)。これはいずれスマホ版にも反映されるでしょう。そして、みんなで翻刻の現在を、コピペしますと、
現在の進捗(日次更新)
総入力文字数 3816851文字
(+14932文字)
翻刻完了画像 5198/6919枚
(75%, +32枚)
翻刻完了史料 410/470点(+1点)
参加登録者数 3836人

です。なんと400万字になろうとする翻字。ひとりで何十万字も翻刻している方もいます。400万字って原稿用紙1万枚ですよ!。1冊の厚めの本でいえば、50冊分です。こんなことは全く予想されていなかった。みんなで翻刻が公開されてまだ1年少し。みんなの力はすごいですね。古地震研ではもう出す史料がないという嬉しい悲鳴。ここは国文研などのオープンデータで翻刻のないのをここにアップしていけばいいのではないでしょうかね。仕組みをつくるのがむずかしいかもしれませんが、是非やっていただきたい。
 そして、みなさんも、是非「みんなで翻刻」をのぞいてみてください。
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2018年02月19日

江戸の学問と文藝世界

鈴木健一・杉田昌彦・田中康二・西田正宏・山下久夫編『江戸の学問と文藝世界』(森話社、2018年2月)。編者の5名が行っていた共同プロジェクトの流れからできあがった本。気になる論考が多いので、この投稿、あとで書き足す予定。新システムの初適用なり。
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備後俳諧人名録

田坂英俊さんの『備後俳諧人名録』(私家版、2018年2月)が刊行された。原則江戸期の俳人を集録。田坂さんは、秋成の歌文集の版下を作成した昇道の研究で、大きな成果を上げている方。私も昇道について調べたことがあって、それ以来、いろいろとご教示にあずかったり、ご本を送っていただいたりしている。ご住職であるが、地方文人のことを熱心に研究しておられる。このブログでも何度か登場されている方である。
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小津久足の書簡に『春雨物語』『雨月物語』のことが。

『鈴屋学会報』34(2017年12月)は、高倉一紀氏の追悼特集である。
それにちなみ、菱岡憲司氏が、資料紹介を寄稿している。
小津新蔵が川喜田久太夫宛に出した書簡。石水文庫所蔵。
ちょっと待って!
その書簡に、小津から川喜田に「さし上す」書目が列なるが、そこになんと『春雨物語』と『雨月物語』の名が。
伊勢商人たちの中で、『春雨物語』は往き来していた。備忘にこれだけは記しておこうと。
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岩波文庫版『雨月物語』

 近々ブログ開設10周年を迎えるが、当初は月に10回以上投稿、プライベートな出来事も書いたりしていたが、やはりここ数年は、投稿頻度が下がってきた。
 これは書かねばと思っていたことを、書きそびれることも少なくない。
 そこで、これからは、1行だけでも、タイトルだけでも書いておいて、時間が出来た時に、補記できればする、というスタイルにしたい。
 もともと、ご恵贈いただいた本を中心に、自分の関心に偏った情報・感想の提供が多いので、パブリックな性格はないことはあらためてお断りしておきたい。これは今後も同じ。しかし、できるだけ書きそびれることのないようにしたいから、その本を手にしたら、なるべくはやく書名だけはあげることにする。
 論文に関しては、特に私の関心を引くものについては書くことがある。

 というわけで、ここでは、長島弘明さん校注の岩波文庫『雨月物語』(2018年2月)をあげておきたい。長島さんといい、岩波文庫といい、まずは文庫版のベーシックである。角川文庫のように現代語訳はないが、丁寧なあらすじや解説を、過不足なく記し、最新の研究成果を取り込んだ無駄のない正確な脚注を付して、『雨月物語』を楽しみたい読書人にとっては、文句のない文庫版である。角川文庫とともに、大いに売れていただきたい。

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2018年02月09日

諸職名寄

 鈴木俊幸さんが、またまた貴重なデータを提供してくださった。
「諸職名寄」というもので、書籍・摺物の制作に関わった下職、すなわち、彫工(彫師)・摺工(摺師)・本仕立職(製本師)等のリストで、地域ごとに五十音にまとめている。もちろん単に名前と説明に終わるのではなく、根拠となるデータを示している。鈴木さんが現物や図版で実見したものである。丸山季夫の名著『刻師名寄』や『原色浮世絵大百科事典』の情報も取り込んだ、現時点で最も詳細な名寄ということになる。鈴木さんの5年にわたる科研研究成果報告である。
 作者や絵師などは採られていないが、本文検索ができるので、どういう彫師と相性がいいかなどがわかってくるまことに有益なものである。ちょっと今気になる絵師がいるのだが、どういう彫師と組んでいるかがよくわかった。
 媒体はCDROMで、PDFファイルだが、検索もできるし、図版のファイルもある。teXファイルもついているのできれいに印刷することも可能だ。
以下は鈴木さんの「例言」から引用。 
銅版師のほか、印刷・製本に関わる職である経師屋や摺物所、さら に摺物所の機能も併せ持つことを標榜している団扇問屋や草紙問屋、また版 木彫刻も行うことを表明している印判師についても極力拾い上げた。小さな 町、都市部から離れた所で、地域の需要に応じて印判を制作する職人は少な からず存在しており、彼らは版木の制作も行いえたのである。すなわち、本 名寄は、地域に備わる書籍・摺物の制作能力、その証跡を浮き彫りにしよう という試みである。
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『秋成 小説史の研究』書評カット部分

このごろ、2010年の秋成没後200年展について思い出すことがあった。高田衛先生がやろうと言い始めたのであるが、それについて少し書いたことがあった。しかしそれは字数制限のためカットした。ただあるところにそのことを載せたことがあった。すっかり忘れていたんだが、出てきたのでメモ代わりに載せておく。ここに載せておけばあとで拾えるので。
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高田衛先生の『秋成 小説史の研究』書評。9枚を6枚半に縮めた結果、最初の饒舌な部分をバッサリカット。

秋成没後200年を記念する展覧会を京都国立博物館でやろうという高田衛の掛け声で、秋成展実行委員会が発足し、私は関西在住ということで事務局を仰せつかった。その準備のため何度も京博と打ち合わせをし、委員会を開いた。京博との折衝は厳しいもので、2009年開催を2010年に延期することや、特別展覧会規模の展示は無理で、館の半分を使った特集陳列になることが決まりかけていたころ、東京での実行委員会で、高田は一枚のカラーコピーを我々に提示した。少し前に渡していた京博の全館見取り図のコピー。そのすべてを秋成の文事で満たした壮大な展示計画がそこにはあった。私は思わず息を飲んだが、それを実現することは、もう不可能だった。
 京博の半分のスペースを使って行われた秋成展だが、京博の情宣協力もあって、真夏の開催にもかかわらず二万人の来場者を集め、大成功だと言われた。しかし、高田の中では、自らの構想が実現できないとわかった時、自身が書くことでしか、秋成没後二〇〇年に決着をつけられないと思ったという。表現者としての高田の性(さが)。それが『春雨物語論』(二〇〇九年、岩波書店)であった。
 それから五年。高田は再び秋成研究書を刊行する。あとがきには「八十余斎」を名乗って。この号は秋成の号を借用したものである。養父の嘆願により六十八の寿命を加島稲荷に授けられたと信じていた秋成は、その年に六十八首の歌を奉納する。そこから後の秋成の人生は、余計な歳月=余歳(号余斎)だった。しかし、六十八歳以後の八年間に、いかに優れた文業が達成されたかを、秋成を知る人は知っている。「八十余斎」にこめられた高田の自負を思い遣るべきだろう。

この書評本体については、こちらに書いておいた。3年前である。

 
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2018年02月04日

日本文学・国語学の学生のためのデジタル・ヒューマニティーズ勉強会

大阪大学日本文学・国語学研究室は、国文学研究資料館古典籍共同事業研究センターとの共同主催で、標記の勉強会を開催いたします。新日本古典籍総合データベースの使い方とIIIFの使い方。

日時 2月14日(水)14:00 〜17:30
場所 大阪大学文学研究科本館2F大会議室

とくに歴史的典籍(古典籍)のデジタルアーカイブスを利用する人は、聞いておいて絶対損はありません。いや必須でしょう。貴重な情報とノウハウを得ることができるはずです。
勉強会には、USBメモリが接続可能のPCが必要です。それに加えてWiFiルーターをご持参いただくか、大阪大学またはeduroamのIDをお持ちの方がアクティブに参加できます。
国文学研究資料館共同事業研究センター特任教授の山本和明さんと、人文情報学研究所所主席研究員の永崎研宣さんに、レクチャーをお願いしております。かなり密度の濃い有用な時間になるはずです。
詳細は、チラシを御覧ください。
また、参加される方は、下記から登録をお願いいたします。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSekTmYJnT63cILSkPo9XiKmAJWaAcf-9Bi2VVOj6E3teiAr1A/viewform
ポスター案.jpg
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2018年02月02日

「近世小説を批評する」を批評する

風間誠史氏の『近世小説を批評する』(森話社)は2018年1月に刊行された。この書名は、馬琴の『本朝水滸伝を読む並に批評』を踏まえていつつも、研究ではなく批評なんだぞという強い自負が込められている。

風間氏は、近世文学研究のシステム化・情報化を一貫して批判する立場である。

端的に言えば、文学研究は「研究」であって「文学」ではなくなったのである。「文学研究」とは文献調査、書誌調査と注釈(語釈)作業の謂になり、あつての自己表現のための方便ではなくなった。

西鶴研究もまたそうであり、その結果「西鶴は私たちから遠ざかってしまった」。

のっけから近世文学研究の現状への批判である。風間氏はそれらの調査・注釈が、作品理解に貢献することなく、研究者間の自閉的な議論になっているという。そしてたとえば、冒頭の論では『武家義理物語』の一話を取り上げ、従来の注釈が、本文解釈に何ら関わらない注釈であって、謎の解明に貢献していない事例をあげ、「「研究」と読みの乖離」だという。
 その上で、風間氏自身の、阿部謹也(なぜかすべて「勤也」になっているが)氏の「世間」論の視座からの作品論を展開していく。この作品論は阿部「世間」概念を使わなくとも、オーソドックスでうなずけるところがあるが、風間氏は、この作品を、現代の問題に通じる主題を含むものとして読むべきだと主張しているように思える。それゆえ、阿部の概念が必要なのだろう。

 このような風間氏の論の進め方は戦略的で、注釈や書誌調査がくだらないもので、鋭利な問題意識に基づく読みこそ読みの醍醐味だという主張が、その実践とともに読者に効果的に伝わるように書かれている。しかし、注釈とは、もともと古典の世界に疎い現代人が、これを理解できるようにするインターフェイスであり、古典を現代的な問題意識で読むときにも、不可欠のものである。書誌調査も、実はその延長にある。風間氏が批判するのは読みに関わらない、過剰で無駄な注釈、注釈のための注釈、書誌調査のための書誌調査であろう。しかし、それとて、本当に過剰で無駄であるのかは、断言できない。
 また、これまでの注釈が納得いかないとするときに、それを覆すのは、新たな「読み」であるかもしれないが、新たな「読み」が根拠を持つためには、新たな注釈が必要であることは、一般的に言って認められるだろう。用例や典拠によって、その読みが説得力を増す。論文とはそういうものであろう。「読み」に結びつかない注釈はたしかにあるが、多くのすぐれた作品論は、新たな「読み」を提示するために、血のにじむような注釈作業を怠っていない。

 以上は別に風間氏の批判ではない。風間氏の真意(読みに繋がらない注釈はつまらない)が誤解されかねないという危惧からの発言である。もっとも、この本そのものは注釈的な部分をあえてあまり表には出していない。そして、この本に収められている各編は、批評として文句なしに面白いし、刺激的である。風間氏自身の感覚から出発しているだけに、たしかに論文というよりも「批評」なのである。批評ができる人はそうそういない。風間氏の文体はユニークだが、私には誰かの文体にどこか似ているという思いがあった。「白峰」を論じているところで、風間氏自身が『江戸を歩く−近世紀行文の世界』を「名著(だと私は思っている)」と断じているところであっと思ったが、それは板坂耀子さんであった。もちろんこれは私の感想にすぎないが、板坂さんも、作品を論じる際に、「えっ!」というような視点から書いていくことがあるのだが、それはもう板坂さんの読みの感覚からはじめているのである。

 そんなことを思いつつ、本書を読んでみた。とても批評とはいえないけれども、タイトルは洒落のつもりである。


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2018年01月22日

六人注『文選』

『文選』の岩波文庫版が刊行開始された。訳注者は川合康三氏をはじめとする6名。私の研究室のお隣におられる浅見洋二さんもそのお一人である。浅見さんは「勤勉」を自認されているような方だが、隣に住む私はその勤勉さをよく存じ上げている。毎日遅くまで研究室で仕事をしておられる。六人注『文選』と異称されるという岩波文庫版の『文選』注釈に関わっておられることは存じ上げなかった。
第1巻には川合氏による総合的な解説が付されている。『文選』の文庫化は初めてではないかと思うが、我々にとっては大変ありがたい。
解説のごく一部を引用したい。『文選』の収める「文学」の範囲について。
顕著なのは、公的な言語、実用的な文書のたぐいが多いことである。皇帝や皇族が下す命令書、臣下が上呈する意見書などが、それぞれの文体とともに文学作品として収められている。それは中国では実用的な用途をもった文章にも文彩を凝らすものであったからであり、また文学を担う人びとが政治の場でも枢要な地位あったこととも関わる。

さて、解説の最後に書かれているが、この訳注は六人が分担したのではなく、毎月1回集まることを数年重ねて、討議・修正を繰り返して成った訳注なのだという。したがって信頼度は非常に高いと思う。
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2018年01月09日

第4回わかりやすい文楽の入門教室(池田市)

近松研究所の水田かや乃さんからのご案内がありました。
1月27日、池田市の池田市立くれは音楽堂で標記の無料講座が行われます。14:00-15:00.
先着240名。要申し込み。

詳しくはこちら

以下案内から抜き書きします。
◆イベントの冒頭では、文楽を演じる技芸員(太夫(たゆう)・三味線・人形遣い)がわかりやすい解説をしますので、初心者や馴染みの少ない方でも楽しんいただけます。
◆文楽の体験コーナーも実施し、実際に人形をさわり、その重さや質感を体感します。時間に余裕があれば、太夫(たゆう)の語りや三味線の演奏にも挑戦していただき、悠久の時代を流れる浄瑠璃(義太夫節)の力強さと優美さを味わっていただきます。
◆教室の最後には、清姫が川を渡る「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段(わたしばのだん)」の場を上演します。
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2018年01月08日

山本秀樹さんの「菊花の約」古意

毎年、新年に去年1年の業績を送ってくださる山本秀樹さん。そのひとつが「「菊花の約」の古意」(『岡大国文論稿』45号、2017年3月)。見落としていたのでありがたかった。
賀茂真淵の著作のようなタイトルだが、その立ち位置はまさにタイトル通りである。実は私も同じ立ち位置、つまり江戸時代に読まれたであろう読み方の提示なのだが、読みそのものは違う。といって対立しているわけではない。共感するところが多い。
 山本氏はいう。従来の読みとして取り上げるべきなのは木越治氏による、左門=「世間知らずの小児中坊的学者」という読みだが、実はそれは「読み」ではなく、「われわれ現代人はそれを肯定するわけには行かない、われわれはそれに付いていけない、という倫理「批評」だったと言わざるを得ない」と。そこまで私は言わない。浮世草子的な誇張された人物という読み方をされているのだと思う。ある意味、木越さんも「古意」なのだ。ただ、それを読んだ研究者の多くが、山本さんの言われる通りに、左門を批評しはじめたことは確かである。
 さて、その上で、義兄弟となった左門と宗右衛門が再会の日を定める場面を、「今まで一度も(従来の菊花の約論がしてこ)なかった」「テクストの論理に即して解説」してみせる。宗右衛門はなぜ再会を数ヶ月の後に設定しなければならなかったのかという問題は、これまで確かに論点とされてはいなかった。そしてその日をある一日に決めてしまうという要因に、身分差を考えるべきだというのも従来なかった視点である。身分差を超える要因に学問があるというモチーフは、「繋がる文芸」を考えている私としても興味深い。これらの解析は、批評的観点ではなく、「古意」を明らかにすると趣旨に基づいているという点で一貫している。この立ち位置での議論を深めることが、「テクスト理解の成熟」だと私も思う。
 文体は「山本秀樹節」というべきもので、そこはまた楽しめる要素のひとつである。
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