2016年10月21日

『歳をとってもドンドン伸びる英語力』ってホント?

 実は私はハウツー本が結構好きで、本屋で立ち読みしたり、買ったりするのである。影響されて真似したりすることもある。佐藤可士和氏の、空間の整理→情報の整理→思考の整理などは、真似できないけれど、リスペクトしている整理学である。野口悠紀雄氏の『超整理法』もかつて実践していたが、挫折。
 英語学習についてもそうで、英語の勉強をしないくせに、英語勉強法の本が結構好きなのである。私の真の英語力を知っている人は笑うに違いない。それにしても、ドイツの4ヶ月半の滞在生活は、「あー、せめて英語でスムースに会話ができれば!」「この先生の(英語の)発表の大体の概要がつかめるくらいに聞き取れれば!」「このメールを辞書なしに読めれば!」と、痛切に思う毎日であった。それでも勉強はしなかったんだが。
 そういう時に知ったのが、鳥越晧之氏の『歳をとってもドンドン伸びる英語力 ノウハウ力を活かす勉強のコツ』(新曜社、2016年10月)である。筆者は大学の学長さん。この年になると、どっかで、「これからやってもねえ」という諦めがあるのだが、そういう我々にも勇気を与えるタイトルではないか。でもさ、本当かしら。
 実際、この本によれば、著者は68歳から勉強しはじめて、英語で授業が出来るくらいになったと。もっともこの先生は、英語で授業が出来るくらいの、元々英語の地力がある先生なのだ。「おまえ、自分と一緒と思うなよ!」と、当然自分で突っ込んでいるのだが、まあまあそれはそれとして、一般的な英語勉強法としても、これまで読んだ本の中で一番説得力があると感じたもので、読み流さずにメモまでとってしまったのである。といっても、九州への飛行機の片道で読んでの話だが。
 たぶん英語の勉強本でブログに紹介するのは初めてである。このごろは「とにかく勇気を出して話そう」とか「大声で話そう」とか、「毎日続けて」とか、精神論のような世界になっている英語勉強本だが(立ち読みしたところそういうのが多いような気が)、この本はなんか感覚が合う。
 さて、この本だが、歳をとると生物学的記憶力は落ちるけれど、ノウハウ的記憶力は伸びるという力強い仮説に立ち、自らの経験に基づいて展開するのだが、その独特のカワイイ語り口がまたなんともいえず、いいのである。
 で、私が、非常に感心したのは、この先生のけっこう赤裸々に書かれている実践報告である。参考にした本がたくさんあげられていて(ということはあまり役にたたなかった本も結構読んでるなと)、かなり英語勉強本を漁ったということがわかるあたり、すごく共感を覚えるし(もっとも私は勉強を実践できてないんだが)、インターネットで文例を探したり、yahoo質問箱まで出てくるところが微笑ましいし、すごく親しみを感じるのである。何より上から目線ではないのが最高に素敵である。
 単語やフレーズを覚えても「ザルに水」のように、どんどん忘れるけど、忘れてもいいんだとか、気が向かないときにはやらなくていいかもとか(それでいてそこはちょっと自信なさげだとか)、なにか安心する。たしかにシニア向けである。いろいろな英語勉強法を試してみて、自分に効果のあったものを勧めるというのが基本である。そういう勉強本を具体的に教えてくれるし、リスニングにいい番組や映画、英語DVDをみながら学習するときにいいソフト、Youtubeの具体的活用法など、とにかくすぐ試したくなるようなものばかりである。
 でも、さすがに学者として一流だと思うのは、たくさんの英語勉強本から、箴言のような珠玉の言葉を引っ張ってくるその的確さ。たとえば外国語は、上手にならなくても、ちょっと学んだだけでも実践すると意味があるっていうのは、まさしくその通りで、モチベーションが高まる。わずか数十語しか運用できないドイツ語でも、それを使えばドイツの人は喜んでくれるし、実際、驚くばかりにコミュニケーションが出来るということを経験した人がここにいますので、此れは真理です。
 一番負担がなく効果は認められる方法、「やさしい英文を朗読するだけ」っていうのは、すぐにも実践してもよう。といってたぶん長続きしないんだけど、それに罪悪感を感じることはないんだって。安心するよね!
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2016年10月14日

デジタル文学地図ワークショップの報告

 歌枕など、古典文学に現れる地名を、地図上に表示するとともに、その地名が含まれるテキストを検索したり、リンクしたり、蓄積された地名にまつわる説話・イメージを取り出す事ができる、WEB上のデジタル文学地図の構想について、そのプロジェクトを進めているハイデルベルク大学のユディット・アロカイ教授のチームが、プロジェクトの発想と現在の進捗状況を報告し、それを元に討論するワークショップが昨日大阪大学豊中キャンパスで行われた。
 題して「デジタル文学地図の試み」。たしかに研究にも教育にも、こういう文学的地名の空間的把握は重要である。これまでの地名(名所・歌枕)辞典の類に欠けていたものは、その名所がどの辺りにあり、近くにどういう名所があり、誰がそこを訪れたかというようなデータである。もっともそれは紙の辞典上では構築しにくいのである。そういう時に、Web地図でそれを示すというのはピッタリである。
 非常に壮大な構想であるとともに、エンドレスなプロジェクトでもあり、どれだけの日本研究者を巻き込むことができるかが鍵になるし、新たな地名辞典構想へののヒントにもなる。
 会場では30名以上の人が熱心に議論を戦わせた。女性の旅日記の専門家や、東京の辞書系の出版社の方もお見えで、夢を現実にする具体的な提案が続出した。今後の展開が楽しみであるし、出来ることはお手伝いしたいと思う。
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2016年10月12日

懐徳堂の美と学問

大阪大学総合学術博物館で、「大阪のほこり 懐徳堂の美と学問」という展示が行われる。近代になって復活した懐徳堂=重建懐徳堂の誕生から100年を記念した行事でもある。以前紹介した、中井履軒・上田秋成合賛鶉図も展示される。懐徳堂の美と学問土曜日も開いているので、阪大で研究会がある時など、お寄りいただければ幸いである。
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2016年10月11日

いたずらコンビは最後は死んで誰も同情しない

 本日10:30分から、大阪大学豊中キャンパスで、ハイデルベルク大学教授ユディット・アロカイさんのご講演「明治時代における西洋文学受容―"Max und Morits"とローマ字訳『Wampaku monogatari』を例に―」がおこなわれた。西洋では誰でも知っている、ウィルヘルム・ブッシュ作の「マックス ウント モリッツ」をローマ字訳した『Wanpaku monogatari』を紹介し、その翻訳の戦略を明らかにしたご講演であった。
 原文はいたずらコンビの7つの話だが、ローマ字訳されたのは最初の4話だけ。実は7話でこのいたずらコンビは悪さがたたって殺されてしまうが、誰も同情をする人はいなかったという「えっ」という結末。この部分は日本的な土壌には合わないとみたのか、訳されることがなかった。
 いろいろと注目すべき点があって、原文がかなり韻律的であることを受けて、翻訳もほぼ七五調で韻律的。磐梯山の噴火なども強引に取り入れていたりして当代性もあり。教訓なのか、ファンタジーなのか、ユーモアなのか。誰をターゲットとしたものなのか。翻訳・文語・韻律・寓話・ローマ字普及・漢文訓読などなど、さまざまな問題が浮上する問題のテキストである。世界各国にものすごく訳されているこの本、まさしく国際シンポの題材にもうってつけではないか。小さな集まりではあったが、議論は高度で活発であった。
 さて、10月7日のエントリーで書いたように、13日午後2時からは、アロカイ先生が中心のプロジェクトチームが発表する「国際ワークショップ、デジタル文学地図の試み」が、大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室で行われる。こちらも是非ご参集を。
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2016年10月10日

幕末田安文化圏

柳川市史編集委員会が今年3月に刊行した、大部の歌合翻刻資料。
それが『柳川文化資料集成 第一集 井上文雄判 柳河藩歌合集』(柳川市、2016年3月)。
A4判2段組で370頁を超える。
幕末の大名・家臣が、あの緊迫した政治状況の中で、和歌の修行をし、歌合を行う意味とは何なのか。
福井藩の文事を調べた久保田啓一氏は、福井藩も柳川藩も、田安家と関係が深く、そこに田安文化圏と称すべきものを想定できるという、魅力的な構想を、月報で語っている。
そして、同じ月報で白石良夫氏は、小城鍋島藩で行われた明和九年の歌合を紹介している。明和九年というのは、ずいぶん早いのではないか?
歌合の復興は近世後期からと漠然と思っていたが、明和に地方大名の下で行われていたとは。私が知らないだけなのかな。寄贈を受けてたまっていた本のひとつだが、これもまた宝の山っぽい。解説編集は亀井森氏。
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2016年10月07日

国際ワークショップ「デジタル文学地図の試み」のご案内

国際ワークショップ「デジタル文学地図の試み」をきたる13日、大阪大学で開催いたします。

 「デジタル文学地図」は、日本の詩歌や紀行文・物語・名所図会などにおける歌枕・名所をデジタル地図の形で表示し、歌枕・名所にまつわる文化的、詩歌的な意味を記録して、日本の歌枕・名所とその意味合いをデジタル地図で辿るデータベースを作成する試みです。

 ハイデルベルク大学エクセレンス・イニシアチブの助成を得て、このプロジェクトを推進していらっしゃる、同大学日本学科教授ユディット・アロカイ先生のチームが、日本の皆さんのご意見を是非お聞きしたいということで、現在開発中のシステムを紹介し、意見交換をするワークショップを計画いたしました。
興味のある方は是非ご来聴ください。使用言語はすべて日本語です。

日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要

登壇者と発表内容は下記の通りです。

発表1 文学地図プロジェクトの発想
Prof Dr. Judit Árokay ユディット・アロカイ(ハイデルベルク大学日本学科教授)

発表2 デジタルデータベースの紹介
Dominik Wallner ドミニク・ワルナー(ハイデルベルク大学日本学科講師)

発表3 デジタルプログラムのプレゼンテーション
Leo Born レオ・ボーン(ハイデルベルク大学情報言語学大学院生)

日時 10 月 13 日(木j) 14:00〜17:00
場所 大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室
定員:70 名 事前申し込み:不要

主催:Heidelberg University ExIni II
大阪大学文学研究科国際古典籍学クラスター
連絡先:飯倉洋一研究室 iikura☆let.osaka-u.ac.jp(☆=アットマーク)
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2016年09月21日

ドイツの大学における教育と研究について考えたこと(補訂版)

 以下は、9月5日〜7日に行われた研究室旅行のパンフレットに寄稿した文章をアップする。一部補訂している。ドイツ滞在中は非常にいい気分で仕事ができたので、いいイメージを持っているが、ドイツにはドイツの抱えている問題がもちろんある。それを忘れてはならない。

□わずか四ヶ月余りではあるが、ドイツのハイデルベルク大学で、二つの授業科目を一セメスター(十五回)担当し、何度か研究集会に参加し、一度は発表もさせていただいた。そこで、教育と研究のことについて、私が知り得たこと、考えたことを、もとより狭い経験に基づくものではあるが書いてみたい。何かの参考になれば幸いである。
□ドイツの大学進学率は四十パーセント程度であり、余り高くはない。次に述べるように入学金・学費が無料であるにも関わらず、である。このことについて、ドイツの人に理由を聞いてみると、ドイツが学歴を重視する社会ではないからであるという。ドイツは伝統的に職人を重んじる国である。大学を出たからと言って高収入は保証されない。
□一方で、学びたい人にとって、境遇は恵まれている。なにせ教育費は公的負担により、タダである。学びたい人は何年でも在学して学ぶことができるようで、私の授業には、学部十一年目の学生が出席していた。日本の大学ならそういう学生は、ほとんど大学にも出てこない、成績のよくない学生が多いが、彼は熱心だし、不出来ではないし、教員の信頼も厚く、学内のイベントでは常に中心におり、明るく、人柄がよく、彼女もいて、学生生活を謳歌している好青年である。
□ちなみに、ハイデルベルク大学のような著名な大学だが、哲学部(文学部)の場合、入学試験はない。医学部や法学部はあるようだが、ない方が普通なのである。大学院についても入試はない。入学資格はあるが、試験はない。教員は入試業務がないわけで、その時間を授業準備や研究に割けるわけである。もちろん授業についていけない者は脱落していく。このシステムがいいかわるいかは一概に言えないが、学歴重視社会ではないゆえに可能であるとは言えるかもしれない。
□では授業はどんな感じであろうか。他の先生方も異口同音にいうのは、学生がアクティブで、疑問があれば、教師の説明中であっても、質問を投げかけてくるということである。
また、授業中の居眠りは、教師に対してきわめて失礼とされるため、ほとんどない。もっとも遅刻は結構あったことは付け加えておこう。授業のひとつは上田秋成の文学がテーマで、私にはテキストを丁寧に解釈していく「日本式」?の授業をすることが求められていたのかもしれないが、結局議論中心の授業を行った。古典文学専攻の学生が誰もいないということも理由の一つだったが、古文の理解度にかなりの個人差があり、解釈中心の授業が成立しそうになかったからである。『雨月物語』と『春雨物語』はドイツ語訳があるため、少なくともドイツ語訳を事前に読んでおくこととし、テキストとしては日本古典文学全集を用いながらも、実際にそれを細かく読んでいくことはしなかった。彼らは、女性が徹底的にネガティブに描かれる話や、喜んで死を受け入れる話に素直に違和感を表明する反面、それを面白いと受け止めることもあり、一様ではない。
□もう一コマは、くずし字学習を含む、江戸の教養についての授業であるが、結局くずし字学習中心の授業になった。参加者は八名。ここにも古典文学を専攻する学生は1名しかいなかったが、くずし字への関心は非常に高く、最初の週に紹介したくずし字アプリのテストを、次の週には、ほとんど全問正解してくる強者もいた。前週に配布した宿題のくずし字テキストを、授業では順番に読みあげて行き、文字や語彙の説明を加えるが、さらに、同席されているハイデルベルク大の先生が、ドイツ語訳させるという授業である。学生がその場で試みるドイツ語訳や、それに対する先生のコメントは全くわからないが、比較的訳しやすい教訓書をテキストとして用いていたから、学生たちもなんとか訳していたようである。しかし日本学科で学んでいるだけあって、孝悌忠信などの徳目については、さほど説明しなくても理解できているようではある。
□授業は、たとえば一限が九時から十一時までの一二〇分であるが、実際九時十五分に始まり、十時四十五分に終了する九十分授業である。休憩時間が三十分、昼休みは九十分あり、ゆったりした感じとなる。
□次に研究会へ参加した感想を述べよう。七月二十四日現在までに私が参加した研究会は、使用言語がドイツ語か英語であった。といっても参加者のほとんどは日本語もわかるので、私が日本語で質問することについては問題なかった。
□ワークショップでの発表には日本のようにハンドアウトがない。大抵の場合はスライドを使用するが、その作り方は十人十色。非常に丁寧に作ってくる人もいれば、スライド数枚の人もいる。もちろんハンドアウトを作るのが悪いことだというわけではない。持ち帰ってじっくり検討できることは喜ばれる。しかし、いくつかの発表を聴いて思ったのは、事実を明らかにするという発表よりも、こういう考え方があるという発表の方が多いので、ハンドアウトがあったとしてもその発表が終われば用済みで、学会発表や論文執筆にむけブラッシュアップする。保存することを求められないからハンドアウトは要らない、そういう論理のような気がする。
□一時間であれば、発表時間が三十分、質疑応答が三十分である。この三十分を持て余すということはまずない。日本の研究会でありがちな、発表者の不勉強な点を突いて、質問者が知識を披歴し、発表者の「その点につきましては不勉強で調査が及んでおりませんので、今後の検討課題とさせていただきます」という答えを引き出すような、一方通行のやりとりがないのである。第一、そういう質問があったとしても、発表者は「それはわかりません」とあっさり言うだけだ。
□枠組みを共有し、各々のテーマに、さまざまな観点からの見解をぶつけることで、新たな地平を拓く。皆そこを目指している。重要なのは個々の発表ではなく、枠組みの方である。したがって、ワークショップを開催する時は、ワークショップのテーマ、枠組みの作り方が重要である。ハイデルベルク大学には「クラスター」という研究組織がある。阪大の文学研究科に存在するクラスターとは似て非なるものである。全学的な予算がきちんと措置され、それ用の建物もある。ハイデルベルク大学には日本学クラスターがあり、頻繁に、講演会・研究会・シンポジウムを催している。
□私が参加した研究会のひとつは、「京都―古都のイメージ形成」というテーマのワークショップで、高木博志京大教授が基調講演された他、全部で六人が登壇した。文学・美術・歴史・前近代・近代という枠を取り払った議論が行われた。イギリス・フランス・ドイツ・スイス・オーストラリア・日本などの国々から五十名ほどが参加した。使用言語は英語だが、日本語の質問も許されたので、私も都名所図会についての発表や、古都のイメージ形成の基調講演には、質問で参加できた。タイモン・スクリーチ氏やジョルジュ・モストウ氏というビッグネームの発表も聞けた。このワークショップが大成功したのは、ひとえにコーディネーターの枠組み設定がよかったからだと思う。日本でも、インターディシプリナリティがますます重要になるだろうと実感した。
□とはいえ、彼らは、日本の実証的な研究や注釈書を利用して研究をしていることもまた事実であり、それらは非常に重宝されている。一方で、その実証の正しさや、注釈の精度について正しい評価が出来ているかどうかは問題が残る。私達は、日本文学への国際的なアプローチの仕方を知るとともに、実証的方法や、地道な注釈を捨ててもいいと言うことは決してないのである。ダブルスタンダードが求められている。
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2016年09月20日

海を渡る史書 東アジアの通鑑

 中国の『資治通鑑』、朝鮮の『東国通鑑』、そして日本の『本朝通鑑』。この3つの国の公的史書は、もちろん中国→朝鮮→日本という形で伝播し、『通鑑』文化圏と呼ぶべき歴史書の世界を形成していた。我々が近世の歴史観を考えるときに、このことは基礎的な知識でなければならない。
 しかし、東アジアの「通鑑」を総合的・多角的に、その淵源と流通、変化、影響までを含めた論集はこれまでなかったのではないか。
 日本はかつて『東国通鑑』の板木を略奪した。一方でその和刻本を作った。奇しくも20世紀はじめに和刻本の板木が朝鮮に寄贈された。500枚以上の『新刊東国通鑑』の板木である。近年、ソウル大学で金時徳氏によってこれが発見されたことを契機に、本書『海を渡る史書 東アジアの「通鑑」』(勉誠出版)が企画出版された。金氏と濱野靖一郎氏の共編である。まことに興味深い内容で、「通鑑」入門書でもあり、最新研究書でもある。
 「通鑑」(資治通鑑)の誕生と継承、『東国通鑑』の総合的検証、和刻本『東国通鑑』の流通と上記板木の現状、日本の通鑑『本朝通鑑』の内容、そして思想史的検討と、構成も見事で、素晴らしい執筆者を集めている。意をつくさない紹介であるが、取り急ぎ。
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2016年09月19日

幕末明治 移行期の思想と文化

 少しずつたまっている受贈本を。簡略になってしまいますが。
 渡独中の5月に勉誠出版から出た『幕末明治 移行期の思想と文化』。
 帯に「ステレオタイプな歴史観にゆさぶりをかける画期的論集」とあるが、この移行期を「幕末明治」と連続で捉えることが近年の流れで、従来見向きもされないような著述(言葉)やモノ、パフォーマンスを掘り起し、それぞれの歴史を捉えなおすことが各分野で成果を上げはじめている。本論集もそのながれにあるが、明星大学スタッフの研究会を母体とする論集で、多角的な問題意識をぶつけ合う開かれた議論が実ったものと見受けられる。
 編者の一人、青山英正さんの論考は、韻文史の移行期の重要要素として七五調を取り上げる。すなわち新体詩が採用したものだからであるが、長歌→新体詩という従来の視点に代えて、教訓和讃や今様という全く注目されていなかったジャンルに光を当て、五七調か七五調かという歌学的議論がやがて終焉して韻文論的議論へと解消する状況にまで論及、説得力をもって叙述している。わかりやすく、切れ味のいい論文。
 冒頭井上泰至さんの「帝国史観と皇国史観の秀吉像―『絵本太閤記』の位置」は、私の、初期絵本読本に関する旧稿が参考になったと言われていたが論文を拝読して、そう結びつくのかと驚きました。
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2016年09月18日

『春雨物語』の「命録」

 書くべきことをかなり置いたままではあるが、17日の『上方文藝研究』の合評会に参加された高松亮太氏から抜刷をいただき、拙稿も多く引用していただいているので、触れておきたい。
 『国語と国文学』2016年8月号。標題がタイトルで、「「目ひとつの神」を論じて主題と稿本の問題に及ぶ」が副題。
 主題は「命録」について。私も「憤り」との関わりで、かなり昔(大学院のころ)からこのことを考えていたが、長島弘明氏、稲田篤信氏らが、『春雨物語』の主題として考察され、各編の分析もいくつか備わっている。高松氏は「目ひとつの神」を分析。「帰郷」という行為を「命録」と結び付けて創作モチーフとする秋成の意識を抉りだした。肯ける。また、稿本間の異同は、それぞれの対読者の問題ではないかとする。これは鈴木淳氏や私と同じ立場となる。私としてはこの問題に関しては、孤立無援ではなくなってきたと大いに心強く感じる。
 蘆庵社中(富岡本系)と伊勢豪商連(文化五年本系)の二つの読者層を具体的に想定しているのだが。それに関係する情報も、合評会で知ることができた。
 滞独中に送っていたただいた御本についても、書きたいのはやまやまですが。
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2016年08月31日

帰国

8月29日に無事帰国しました。
たいへんご無沙汰しました。
4ヶ月のハイデルベルク滞在と少しばかりの中欧の旅。
勉強になることばかりでした。
いろいろ考えさせられました。
追々、それを書く事があるかもしれません。
今は、旅の後始末と、諸々の締切と、新学期へ向けての準備などなどで、ちょっと余裕がありませんが。
お世話になった皆さまへ、心より御礼申し上げます。
また、留守中、多くの方にご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます。
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2016年08月04日

歴史学者たちとの研究交流

8月3日。日本から、科研(B)「儒教的民本主義と国民国家建設―東アジアの政治文化史的比較」のチームがハイデルベルク大学日本学科を訪問。ハイデルベルク大学側の教員と研究交流をした。

メンバーは、趙景達(千葉大学教授・朝鮮近代史・日朝関係史・東アジア比較史)氏をリーダーとする8名。ユリアン・ビオンティーノ氏(千葉大学助教・朝鮮近代史・日朝関係史)、久留島浩氏(国立歴史民俗博物館館長・日本近世史)、須田努氏(明治大学教授・日本近世史)、小川和也氏(中京大学教授・日本近世思想史)、村田雄二郎氏(東京大学教授・中国近代思想史)、武内房司氏(学習院大学教授・中国ベトナム宗教史)、伊藤俊介氏(福島大学准教授・朝鮮近代史)という錚々たる面々。ひとり15分ずつくらい、自分の研究を紹介するというので、4時間近いミーティングであった。

日本・中国・ベトナム・韓国史の一流の方々ばかり。このような方々の研究紹介を聞ける機会、そして意見交換する機会はめったにない。もちろん日本でも。

このグループに顕著なのかどうかはわからないが、やはり歴史家というのは「現代」に対する強い問題意識を持っているのだな、というのが第一印象、そのスタンスはやはり反権力ですね。もちろん文学研究者にもそういう立場はあるのだが、私たち日本近世文学者の多くは、そういう問題意識をいったん捨てますね。というと、「新鮮だな〜」という感想を述べる方もあった。

次に、彼らが、文学的な作品や、歌舞伎、日記など、文学研究と接点のある資料を結構使うんだなということが印象に残った。そこでも、近世文学の場合での、そういう資料の扱い方について若干意見を述べさせていただいた。『奥の細道』の虚構性についても「えっ」という反応をされる方もいた。

加藤周一がそこで食事したというレストランでの懇親会に入ると談論風発。歌論・西鶴・近松・俳諧・太閤記から寛政期の地誌流行と名所探訪、丸山真男論まで。それぞれの所属機関に私のよく知っている方がおられたりして、話題はつきない。『儒学殺人事件』の小川氏は、井上泰至氏の本の書評を書いたということで、文学研究側の悉皆調査の方法にいたく感心しておられた。書物研でも活動していらっしゃるということ。

一方で、歴史学研究と文学研究がこれまであまり交わることなく、また方法論的な議論を交わすことなくずっとやってきたことのツケは大きいなと感じる。こういうのはお互いにそれぞれの成果である著書を読んでもなかなか理解できることではない。今回、ひとつのチームという限定はもちろんあるけれども、歴史学の人たちの志向というようなものを、肌で感じられることが少しできたことは何よりであった。

こういう機会は作ろうと思ってもなかなか難しい。Wolfgang Seifert先生のお骨折りによるが、本当にありがたかった。
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2016年07月23日

「古都としての京都」についてのワークショップ

7月22日。ハイデルベルク大学のヤスパースセンターで行なわれた「京都」についてのシンポジウム。10時45分から19時30分まで。発表・質疑応答は、基本的に英語で行われた(一部、コーディネーターのTrede先生のご配慮で、日本語での質疑応答や通訳付の質疑応答もあった)。

ハンドアウトは、基調講演者(keynote speaker)京大の高木博志先生だけが、読み上げ原稿を配布した以外は、なし。大体、日本のようにハンドアウトは配らない。ハンドアウトを配ると、親切・丁寧・助かると評価されるから、いいことのようですけどね。だから、発表前は要旨のみを送り、発表10分前まで、内容をいじることができるわけですな。

そういうわけで、発表内容を私が理解するのは当然不可能であった。ただ、きのうも述べた3つの発表について印象を述べるのと、一日中英語の発表を聞くと言う初体験についての感想を述べる。
SOASのスクリーチさんの天明大火論。スライドもなかったので、断片的な単語を繋ぎ合わせて想像するしかなかったのだが、これは『定信お通し 寛政視覚革命の治政学』の中の論を元にしているということだったので、一度は読んでいる話である。帰国後確認したい。質疑応答でアロカイ先生が盛田の著書のことを紹介してくれた。私はさすがに内容がわからなかったから休憩時間に。「藤島宗順」の言説も紹介していたので、宗順日記や蘆庵文庫の資料のことなどをお伝えしたら、ご興味をもたれたようであった。

 ブリティッシュコロンビア大学のモストウさんの都名所図会論は、スライドたっぷりだったのでついていけた。しかも実際の絵と詩歌句を取り上げての解説・解釈である。質疑応答もそこに集中した。流石に藤川玲満さんの本は踏まえておられた。コーディネーターのトレーデ先生(ハイデルベルク大)が、私に気を遣って、このセッションを日本語での質疑応答としてくださった。名所図会の序文(公家や地下官人がいつもかく)のことや、想定されている読者のイメージについて質問した。

 高木博志さんの、京都イメージ形成論はハンドアウトがあるので、かなり理解できた。なかなか面白かった。私は天皇(公家もだが)が不在となって「みやこ」(天皇のいる場所という意味)の根拠を失った都市が、「古都」イメージを創造する必要があったという理解でいいかという質問をした。

 発表は原稿を読み上げるスタイルと、メモだけ用意して臨機応変に語るタイプの両方。おおむねベテランは後者。笑いもしっかりとりつつ。1時間の枠組みの中で30分ほどが発表で、質疑応答の時間をたっぷりとる。これはこちらで参加したワークショップのすべてがそうであった。そして質疑応答について、日本の学会のように「それについては今回は調査が及んでおりませんので、これから検討させていただきます」というような答えをする人はいない。わからないときは「わからない」と答えるだけである。ここで重要なのは、コーディネートの仕事だが、ワークショップのテーマの立て方である。日本に限らないことだと思うが、枠組みのしっかりしていないテーマだと、異ジャンルの人たちが集まっても、自分の専門の話だけをして、結局かみ合わないということがある。集まるだけではだめで、絡まないと面白くない。それを発表者も質疑者もよく理解していることが、肝要である。このワークショップの主体は、クラスターと呼ばれる学内プロジェクト組織で、さまざまな分野から、日本に関わる研究者が集まって出来ている。この運営は非常にうまく行っているという印象である。ここでもポイントは「人」だと思う。

 ところで、英語ワークショップの個人的な感想を最後に。スライドがあれば、ついていける発表もあるが、それは自分の関心のある分野であるということと、スライドがきめ細かくつくられていれば、ということだ。基本的にはやはり、最下層の英語力ではついていけないのである。今回は、自分の関心のある発表が多かったことと、トレーデ先生のご配慮による日本語討論があったから、予想以上に参戦できて有り難かった。ただ、ずっと聞いていると、あー、コメントとか質問とかは、こういう風に言うのか、とか、勉強になって面白かった。だが、読み上げ原稿を起こしたものを見ながらでも、完全にはついていけない(単語力と文法力の問題)のだから、これはもう自分の力のなさを反省するしかないね。しかし、高い日本語能力と、基本的な英語のリーディング・リスニング・スピーキング能力は、これからの人には必須ですね。自分もまだこれからが、少しはあると思っていますので、勉強はしたい。

 ただ、ドイツ語のワークショップよりはさすがにすこしだけ理解ができる。ドイツの方の英語と、ネイティブの方の英語の違いはそれほど感じなかったが、それは、ネイティブの方が気をつかってわかりやすく発音していたからだと、あとで教えてもらった。
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2016年07月21日

フランクフルトの奈良絵本

フランクフルト大学で開催されているくずし字ワークショップ3日目は特別メニューで、フランクフルト大学日本学科所蔵江戸文庫を用いたワークショップと、フランクフルト工芸美術館の見学。これを逃す手はないと、またまた便乗参加。電車の遅れと、例によっての迷子で30分遅刻したが、教室に入って驚いた。江戸文庫約100点のすべてが、所狭しと拡げられていたのである@。しかも、私が閲覧希望を出していた20点ほどのリストが共有されていて、あっという間に私の手元にそれらが集まったのである。いや感激。

この江戸文庫の詳細な索引付解題目録が出版されている。ハードカバーの分厚いもので、きちんと書誌が記されているものすごく詳しいものだ。クラフト氏の在ドイツ日本古典籍目録(全5冊)がお手本のように思われる。ジャンルや著者についての解説も完備している。この目録、ハイデルベルク大学のヤパノロギーの図書室にあったわけだが、あまりの充実ぶりに欲しくなった。図書室のKさんに相談したところ、古書店を通じて購入してくれた。31ユーロでゲットできた。今日の閲覧、全部見るには少し時間が足りなかったが、8月にもう一度お世話になることになった。その時にいろいろと便宜もはかってもらえそうで、いや感激。

午後からは、奈良絵本のコレクションで有名なフランクフルト工芸美術館にみんなで向かう。マイン川を渡って
AすぐB。ここには29点の奈良絵本がある。ここに所蔵される「熊野の本地」を中心に奈良絵本研究で博士論文を書いた、Jesse先生が、わざわざ、我々のためだけに講演をしてくださり、そのあと、伯爵でもあるこちらの東洋部長のシューレンブルク博士とJesse先生による、含蓄深い、実物を前にしての解説。まことに勉強になる。特筆すべきは、奈良絵本『文正草子』が7点もあるということだ。奈良絵本にもピンからキリまであるんだということが一目瞭然。それを全部見比べることのできる幸運。ここはちょっと写真だせないんだけどね。いや感激。

このあと、工芸美術館の古い方の建物で、展示品をみながらCの解説をきき、館内のカフェでビールを飲み、Jesse先生と、フランクフルト大のキンスキー先生にお願いして写真を撮らせてもらったD.中央がJesse先生。そして駅近くのインド料理屋で、夕食を共にして充実した一日が終わった。キンスキー先生にナスターシャ・キンスキーとの関係を聞いたところ、「あっちは本名はキンスキーではないので親戚ではない」というなかなか衝撃的なお答えでした。
実は工芸美術館で、少し前に奈良絵本の展示が行われ、ものすごく立派な図録が作成されている。購入できませんかと聞いたら、なんと東洋部長さんにプレゼントされてしまいましいた。いやもうこれは、超感激。
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2016年07月19日

フランクフルト大学でくずし字ワークショップ

東北大学の荒武賢一朗先生(日本史)による、くずし字ワークショップが今日からフランクフルト大学日本学科で始まった。初日の4限目に参加させていただく。受講生は大学の教員を含めて10名ほど。荒武先生ご自身も「挑戦だ」とおっしゃていたが、日本史の研究者が海外で古文書の読み方の基礎を教えるという試みは珍しい。いただいた資料によると、明治期の往来物で、士農工商の説明をしたものから入ったようである。私が参加した時間からは、本格的な文書を、いきなり読ませるのである。

東北大学狩野文庫にある大阪の富裕商人の法事に関する覚え。これは急にレベルが上がり過ぎではないかという質問(クレームにも聞こえる)もあったが、荒武先生は、過去3回ほど同様のセミナーを経験しており、ブレはない。「とにかく読みましょう」と。文書の用語の意味や、背景を丁寧に説明し、仮にわからないところがあっても先に進むというやり方。これは非常に実践的な方法である。わからなくても、次に同じ言葉が出てきたら、前後の文脈でわかることがある。そうして進みながら、手持ちの駒(読める字・理解できる言葉)を少しずつ増やしていけば、興味もわいてくる。受講生には相当むずかしいレベルだと思われるが、歴史文書は基本的に漢字ばかり。まず「かな」からという日本文学的発想では対応できないわけだ。

荒武先生は過去の授業経験から、この方法に自信を持っておられる。膨大な字数の漢字を一字一字覚えていくのではなく、文書のパターンを覚えさせるという方法である。これは江戸時代の「寺子屋」方式だともいえるだろう。実際、我々も「手紙を読む会」などでそのようなやり方によって文書を読む訓練をしてきたわけだ。この方法には学ぶべき点が多々あると思われる。しかし日本文学の、まず「かな」方式がよくないということもまたない。ただ、互いに情報交換が必要で、これはいまのところ、このような海外においてこそ実現しやすいのである。

明日は自分の授業があるので参加できないが、明後日はフランクフルト大学所蔵の江戸文庫というコレクションを用いたワークショップ。午後からはフランクフルト工芸大学の奈良絵本を見に行くことになっている。これにはまた参加させてもらう予定だ。
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