2026年06月05日

五感で読み解く近世文芸

丹羽みさと編『五感で読み解く近世文芸』(ひつじ書房、2026年2月)について。
面白いタイトルである。五章構成で、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五章に、それぞれ2、3本の論文を配している。
12人の論者は丹羽みさとさんがよく人柄を知っている方々のようで、「まえがき」では、その方の業績のみならず、その人となりやエピソードにまで及ぶ紹介がなされていて、興味深い。クラブミュージックが好きな佐藤温氏、蓮の咲く音を聞きに早朝蓮池に赴く風雅な稲葉有祐氏、中学時代から歌舞伎・浄瑠璃・寄席に通い詰めていたという川下俊文氏、人後に落ちない美食家である井田太郎氏、学生時代にギターを奏でながら警備員のアルバイトをしていた青山英正氏、家庭科の授業で精神と肉体が一致しないことを悟ったという神林尚子氏・・・と、その論文に関わる話題が披露されている。本論への期待が否応なく高まるではないか。
それにしても面白いテーマを思いついたものだ。もちろん「五感で読み解く」を文字通りとれば、嗅覚や触覚で近世文芸を読み解くという、魔法のような話になるよね、確かに和本を匂ったり、触ったり、時には食べる人もいるとは聞くが・・・などど野暮なことを言ってはならないだろう。これはつまり、近世文学が五感での感覚を、どう表現したかということなのだ。視覚はいわばあたりまえだが、それ以外の感覚に着目して、新しい読みを引き出すという試みは、文理融合研究の可能性も示唆するだろう。
佐藤氏の「幽囚の志士たちが聞いた音」は、まさにその着眼が肝になっている。
稲葉氏の「蕉門と嗅覚表現」では「街の匂い」「恋の匂い」「食の匂い」と、和歌には読まれないだろう嗅覚が追求されている。
川下氏の「放屁薫香吹寄草」は、みずからの放屁体験をマクラにするという大胆さで読者を笑いに導く。
大高洋司氏の「『春色梅児誉美』の飲食場面」は、「うなぎや」の場面の考察から、大きな問題へ展開する。
個人的には青山氏の「恋する身体の皮膚感覚:近世から近代へ」が非常に興味深かった。「黒髪」「やわ肌」「くちびる」がキーワード。
この本の発想は、時代を超えているし、なんなら比較文学的な試みも可能になる。また、三ツ松誠氏・石上阿希氏もここに参加しているように、思想史・美術史・文化史など学際的に展開することも可能だろう。丹羽さんには是非次なる企画をお願いしたい。



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2026年06月04日

ちくま学芸文庫版『江戸の戯作絵本』4

 かつて社会思想社の教養文庫から『江戸の戯作絵本』全4冊、続編2冊、計6冊が刊行されていたが、このシリーズはさらに続きが企図されていて、それは頓挫していたらしい。近年、『江戸の戯作絵本』が復刊、上記の6冊を3冊に再編して刊行されていたが、ここに頓挫していた企画を受け継ぐ第4巻が刊行された。つまりこの巻は復刊ではなく、新編集の新刊である。そして、ここでシリーズが完結する。私は旧版を持っていたので、新シリーズの1〜3を未購入なのだが、4冊の表紙をならべると「戯・作・絵・本」となるそうだ。66種の黄表紙が注釈付で手軽に読めることになる。 4巻の編者は棚橋正博・深谷大・二又淳・長田和也の各氏である。600頁を超えるたいへんな労作。『見徳一炊夢』『草双紙年代記』『夭怪着到牒』『人間一生胸算用』など、注目作品が目白押しである。
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2026年06月01日

学会記(二松学舎大学)

5月30日(土)、31日(日)に、二松学舎大学で開催された日本近世文学会に参加しました。前日も22時まで海外の研究者との楽しすぎる飲み会をしており、30日は、朝東京へ移動。学会の懇親会のあと、珍しく久しぶりの二次会参加でやはり10時ごろまで。そして31日は学会終了後、天理ギャラリーをささっとみたあと、かねてからの約束であったカラオケ付き飲み会5時15分開始で3時間30分。そのあと移動して濃いめの昭和歌謡カラオケバー3時間。終わったのが12時。終電でホテルに帰りましたとさ。我ながらすげえ体力。たのしけりゃ何でもできるのね。
え、これ学会記じゃなくて飲み会記ですね。失礼しました。
学会は全部で7名の発表。発表者少なかったですが、300人くらい集まったみたいで、大盛況でした。最近は質疑応答の時間が10分とってあるので、聞き応えがありますね。土曜日は『酔興孟八伝』という珍しい写本と万象亭の戯作との関わりを指摘する吉田氏(学習院大学院生)、『万載集著微来歴』の挿絵と『平家物語』絵入版本の比較考察をする小林ふみ子氏、そして吉原本の出版を諸文書を渉猟して歴史的に考察した佐藤悟氏の三本の発表。とくに佐藤氏の発表には圧倒された。90分くらいかけて聞く話ですね。懇親会では翌日発表する池澤氏があいさつで、前回の私の発表に刺激を受けた旨を言ってくださってありがたかったです。画文コラボの関係の中での読みの話ですね。その池澤氏の発表はトリだった。最初は池澤氏の教え子で徂徠の天狗説の影響・受容を明治まで追いかけた竹中氏(早稲田大学院生)、『好色一代女』の語りの機構を文学理論を駆使して説明した浜田氏、秋成の浮浪子(のらもの)時代の重要資料とされてきた洒落本『列仙伝』の緻密な読みを通して、中村幸彦以来定説となっていた「秋成=ひとり武者」という考えを一蹴、しっかりとした調査でそれを補強する申し分のない発表をした野澤氏、そして先述した池澤氏は、『海道狂歌合』において秋成の狂歌を絵師がきちんと読み取って挿絵を画いたのだと主張した。このような研究は私の研究課題である「上方文壇における人的交流」とも大いに重なるところがある。池澤氏の発表はその内容もさることながら、画文コラボ研究の提案をしたという点に意義があるだろう。
2回目の大会校引き受けをこなされた吉丸氏と実行組織の方々、お手伝いの学生さんに深謝申し上げます。
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2026年05月29日

ハルオ・シラネ氏インタビュー「歌枕」について

 『日本文学』2026年5月号は「中世文学における名所」を特集。昨年の秋、この特集への投稿を誘われた。これは歌枕マッピングサイトである「日本のデジタル文学地図」(https://literarymaps.nijl.ac.jp/)に私が長年かかわっているからであったようだ。「デジタル文学地図」を創設したのは、ハイデルベルク大学のユディット・アロカイさんであり、私はハイデルベルク大学日本学科と大阪大学文学研究科の研究交流事業で、アロカイさんと知り合い、この事業を手伝うことになったものである、以来約10年。2021年度からは科研をとり、サイトの充実と利活用の推進を進めてきた。毎年、このサイトを使った国際共同オンライン授業も行ってきた。
 最終年度、環境文学論の視点から「歌枕」についても一家言のあるハルオ・シラネ先生に「歌枕」についてインタビューを行った。それが9月。そのすぐあとに『日本文学』のお話があったので、このインタビュー記録を載せていただけないかとお願いし、認められた。そこで本号には、聞き手飯倉による、「ハルオ・シラネ氏インタビュー「歌枕」について」が掲載されている。お話は「歌枕」だけではなく、WEB和英古語辞典、世界の歳時記、Haikuなどに及ぶが、読みどころとしては、歌枕と霊との深い関係について言及されたところだろうか。
 なお、この号に掲載された歌枕・名所論は、大きな問題意識に基づいた論考で、非常に示唆に富んでいることも付け加えておこう。
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近世伊勢商人の文芸ネットワーク

 もう5月も終わろうとしている。ここ数ヶ月、多くの方々から、研究の成果をいただいているのだが、研究書については書影とともにXで紹介はしているのだが、ブログでの紹介が追いついていない。紹介できないままになっている本が何冊あるだろうか。なんとか少しずつ、と思ってはいるのですが・・・
 その中のひとつに、神谷勝広さんの『浮世草子と江戸戯作』(汲古書院、2025年12月)があって、このテーマは以前から神谷さんが追いかけていたテーマだなあと思いつつ、中を開いてみると、ほとんどが書き下ろしで仰天した。私なりにきちんと消化しなければならない本なので、易々とは・・・と思っていたら、半年もたたないうちに、次の本が届いて、本当に吃驚した。『近世伊勢商人の文芸ネットワーク:三都とのつながり』(和泉書院、2026年5月)である。こちらも、神谷さんが、青山英正さん、早川由美さん、菱岡憲司さんらと長年やっておられた共同研究の成果である。
 この共同研究は、すばらしい業績を次々とあげてきたが、「近世伊勢商人」とそのネットワークの文化レベルの高さが完全に周知のものとなってきた昨今、ダメ押し的な一書となった。都会から地方へという文化の伝播だけではなく、都会と地方の双方向で絡み合っていたのが近世であり、その一つの顕れが、伊勢商人のネットワークである。すでに菱岡さんの『大才子 小津久足』でも丁寧に論じられているところだが、今回は竹川家・川喜田家を中心に、日記や書簡などを手がかりに、その文芸ネットワークを具体的に明らかにしている。
 あとがきに、「丸ごと知りたい」が口癖だという。漢詩・和歌・俳諧・小説・・・とジャンルごとの研究は、近世人のありかたとずれているのではないか、彼らは何でもやっていたのだから、それを丸ごと知らなければという態度である。そして敢えて「〈深掘〉をしない」と宣言している。潔いというべきか。部分だけをかじって深掘したがる私へ警鐘を鳴らしているように思えた。
 さて、あまりに吃驚して、最新の本を取り上げてしまったが、紹介したい本がたくさん溜まっている。少しずつとりあげていきたい。
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2026年05月08日

「奥の細道」の本質

 中森康之さんが、芭蕉の本質を追究する論文を立て続けに2本発表した。
 「『おくのほそ道』の本質」(『本質学研究』第18号、本質学研究会、2026年2月)と、「芭蕉が求めたるところー西行、空海、宇宙の真理」(『国語と国文学』、2026年5月号)である。ともに、近世文学研究の論文としては、とてつもなくスケールの大きい哲学的な論文である。もともと中森さんの志向は、哲学にあるのだろう。学会の主潮に流されず、巻き込まれず、自分の追究してきたいものを追究してきた。ただし学会もそれを排除しなかった、その懐の深さについても付け加えることを忘れてはいない。「本質学研究」では、文字通り『おくのほそ道』の本質を解明しようとする。去来が、奥の細道の旅で、蕉門の俳諧は一変した、といっているが、それは一体なにか?これまでの研究では、「文学としての作風」の革新と捉えていた。中森さんが提起しているのは、「そんなちっちゃい話じゃない!もっと深く、広く、根源的な話なんだ」ってことだ。堀信夫と竹下数馬だけがそれに気づいていたという。芭蕉俳諧の革新を理解した支考は、奥の細道のあと、芭蕉の確立した新しい表現原理を「芭蕉流」と名付ける。それは@まず心を理想的忘我状態に置く、A外界からの刺激に反応して意識が動く、Bその意識を言い留める(言葉の到来を待つ)というものである。その表現原理の確立には、荘子の影響がある。そこを丁寧に「論証」していく。「奥の細道」の「奥」とは、時空を超えた不可視・不可知な〈どこか〉であるという、寺島恒世の歌語としての「奥」の考察を援用しつつ、このように結論づける。「宇宙の真理、その地の記憶、古人の魂が、時空を超えた自己の根源的記憶として溶け合っている領域(まこと)へと至る細き一筋の道が、「おくのほそ道」という「俳諧の道」なのである」と。本質論になると、それはどうしても宗教的になる。私は最近、ハルオ・シラネ氏に「歌枕」についてインタビューをしたことがあり(まもなく刊行される『日本文学』5月号に掲載予定)、シラネ氏は、歌枕と古人の霊との繋がりを重視される発言をされていた。歌枕探訪とは古人の霊をたずねる旅なのだと。中森氏の説も、それと繋がると思ったのである。なお、『本質学研究』はWEB公開されていて、こちらから読めるので、興味のある方は是非、中森さんの論理の跡をたどっていただきたい。
 『国語と国文学』は、上記を補完するものであるが、問題意識としては、「許六離別の詞」にある、有名な「古人の跡をもとめず、古人の求たる所をもとめよ」と空海の言葉を引いてなされる主張について、「芭蕉が求めたるところ」は何なのかというものである。ここでは、山折哲雄・宇都木言行の説が援用されている。そして空海の存在。西行において空海の存在が重要であったこと、芭蕉は〈西行の空海体験〉を自身西行をモデルに追体験しようとしているということらしい(私の解釈は浅薄で間違っているかもしれないが)。死と再生をくりかえす旅、それが「おくのほそ道」の旅なのだ。
 この崇高で宗教的ともいえる『おくのほそ道』論に、多くの異論があってしかるべきだと思う。私としては俳諧研究者が、この中森論をスルーせずに、議論してもらいたいと思う。ただ、この論、というよりも中森さんの俳諧の論は、「哲学的な文学研究」というよりも、「文学研究のスキルを身につけた哲学研究」といった方が相応しいので、文学研究の手法で論戦するのは難しいのかもしれない。いっぽうで現今の「文学研究」は、何らかの意味で、「文学研究」の枠を超えようとする動きが活発でもある。中森さんは自身の挑戦を、芭蕉に見たのかもしれない。ここに紹介した中森さんの論文は、哲学研究であり、生き方の論でもあるからである。
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2026年04月28日

歌舞伎の東西

『歌舞伎の東西:上方と江戸の絵入出版物』(花鳥社、2026年3月)、青山学院大学で行われたシンポジウムを基に編まれたもの。大屋多詠子さんの企画編集。
 執筆は、大屋さんの他、アンドリュー・ガーストル、北川博子、倉橋正恵、佐藤かつら、神楽岡幼子、韓京子の各氏。「執筆者一同」よりご寄贈していただき、感謝にたえない。ちかごろ、関西大学図書館で上方歌舞伎関係の展示を拝見していただけに、とくに上方歌舞伎関係の論考に興味が湧いた。
 ガーストル氏の「上方摺物」についての論考では、芸人の襲名や追善のために配り物として製作された摺物の雅俗について考察するくだりに注目させられた。芝居は俗、役者は低い身分、しかし摺物の画面(歌と絵)は、「雅」の世界を見立てている。その前提として、「近世の身分制度の実態」の捉え方が、歴史研究者と文学・芸能研究者とで違うことを指摘されているのは重要である。前者は身分制度の厳しいタテ社会と見ているが、後者は江戸時代に人々はかなり自由に生きているという見方をしているというのである。ここで脱線して、個人的な感想をいえば、これはいわゆる「近世的な読み」議論ともリンクするが、どちらも間違っていないのだろう。江戸時代の人々の感じ方も多様であったのではないか。渡辺京二『逝きし世の面影』などが、従来の封建的な江戸イメージを相対化したわけだが、その相対化が落ち着いて、今度は「江戸の人々は自由だ」という見方を批判する言説も出ている。再相対化である。
 「上方摺物」については、先師中野三敏も集めていて、私たちはよく見せてもらっていたので、ガーストル氏の論考に付載されたカラー図版に懐かしさを覚える。ジュネーブの美術館にたくさんあるのですね。土卵も中野先生がかなり集めていらっしゃった(『江戸狂者傳』)。
 北川博子氏は上方の絵尽くしの歴史についてまとめてくださっている。本屋仲間記録などを駆使した精細な記述で、「上方絵尽くし」を知るための基本文献になるだろう。
 続いて江戸では。倉橋正恵氏が、いまでいう「推し活」、つまり役者の贔屓の情報収集や芝居鑑賞にともなう振る舞い、グッズ収集などを具体的に描き、佐藤かつらさんが、「鸚鵡石」という江戸時代独特の歌舞伎小冊子を詳しく紹介している。
 文学と芝居の関係としては、神楽岡幼子氏が『其返報怪談』と歌舞伎の関係について説いているが、この黄表紙、実は怪談の授業で取り上げているもの。痒いところに手の届く説明、ものすごく助かります。
 馬琴作品の歌舞伎化については、大屋多詠子氏の論考。勉強させていただくばかり。
 韓京子氏は、「近代の朝鮮半島・台湾・満州における浄瑠璃に関する出版物」という貴重な論考。
 ほぼオールカラー、文献ガイドと用語集を加えて本体1800円。すばらしい。

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2026年04月24日

和歌と権力

前田雅之氏の『和歌と権力ー後嵯峨院時代と勅撰集の政治力学』(中公選書、2026年4月)が刊行された。氏のかねてからの持説である「古典的公共圏」の成立を後嵯峨院朝と見立てた和歌力学的政治史であり、政治力学的和歌史でもある。一面では勅撰和歌集史でもあろう。序章から引用すると、「本書は、その和歌が作り出す権力といった視点に立ち、鎌倉から室町期にかけての政治状況とともに、その核をなした古典的公共圏と平和のあり方、ファウンダーとしての後嵯峨院を見ていく。続いて、後嵯峨院が残した二つのシステムのその後の展開に改めてメスを入れ」ると。
後嵯峨院ーそんなによく聞く名前ではない。しかし前田氏に言わせれば、日本史上きわめて重要な人物なのである。「鎌倉の平和」を実現し、「古典的公共圏」を確立したという意味で。
「古典的公共圏」の中心にあるテキストが古今和歌集・伊勢物語・源氏物語・和漢朗詠集の四大古典であることは、氏のこれまでの著書で理解していたが、今回私なりに理解が進んだのが、「古典的公共圏」の歴史学的位置づけである。
 鎌倉期の権力システムは、院・天皇を頂き、その下に武家(幕府)・公家(朝廷)・寺家(寺社)の諸権門が並列する構造となっていた。中世史家の黒田俊雄は、これを「権門体制」と命名し、諸権門が相互に対立牽制しながらも補完して院・天皇を頂点に置く国家を形成したと考えた。これらの諸権門は高貴な血統で繋がっていた。しかし前田氏に言わせると、黒田の権門体制論には、文芸・文化面が等閑視されている。文化レベルを黒田モデルに包摂し、黒田のいう権門体制を「公」秩序として捉えると、こうした「公」秩序構成員間を、自らの所属する権門を超えて繋いでいくもの、それが古典的公共圏である。題詠・本歌取りの和歌を、古典を踏まえて詠む能力を有している人々によって構成された古典的公共圏は、身分も超える。武家でも僧侶でもそのような教養があれば参加できる。
 古典的公共圏が成立したのが後嵯峨院朝である。『続後撰集』撰集のために『宝治百首』という全四千首の壮大な応制百首を実現する。この応制百首という制度が反復されて、勅撰集は撰集されていくという。確かにこのシステムの達成は重要だろう。そしてこの勅撰集は、「無為無難」で月並な歌を集めていた。それこそが、和歌の伝統を作ったのである。いやなるほど。月並だからこそ、長続きし、その伝統は強固なものとなっていくのである。後嵯峨院の時代に生まれた説話集の『十訓抄』や『古今著聞集』が『古今集』を意識した、いわばパロディであることも、古典的公共圏の確立を裏付けるもの。たしかに『古今著聞集』は書名からして、また二十巻というところも『古今和歌集』が前提である。
 やがて勅撰集の意味は王権の根拠になるくらいに大きくなる。それが後嵯峨院以後の流れである。叙述は近世まで続くが、一定の説得力を持っている。近世になると勅撰和歌集は編纂されない(しようとしても幕府の権力が強ければそう簡単にはいかない)が、それは朝廷権力の弱体化とパラレルなのだろう。光格天皇が歌壇形成と歌会に異様なまでに力を注ぐのは、朝廷権力の復権を目指しているとも言える。江戸時代における「古典的公共圏」のあり方は、前田氏も述べてはいるが、さらなる検討が必要であろう。
 実は私は、近世中後期における「雅俗往来」や「空間的雅俗論」を唱えたことがあり、その際に、前田氏の「古典的公共圏」の考え方を援用していた。「古典的公共圏」は、近世における「雅俗」の「雅」に類似するのである。しかし、本来の意義からいうと、私の援用は適切でなかったかもしれない。自分でよく考えてみたい。おそらく出版によって「古典的公共圏」は身分を超えて広がりつつ、変異し、国学を生む。私の見立てでは、国学は「古典的公共圏」に位置しない。だから、そこに近づこうとする。その逆の現象も起こる。これを近世的に言えば雅俗往来ということになるというのが、私のかつての論であったのだが。HF2tWbHasAYAr-b.jpeg
 
 



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2026年04月23日

近世大坂の遊興文化

関西大学博物館(千里山キャンパス簡文館)で、春季企画展「近世大坂の遊興文化」展が開催中である。
関西大学なにわ大阪研究センターにおける【公募研究班】「近世大坂の遊興文化と出版の研究ー名所・芝居・花街を中心にー」(研究代表者、山本卓)の研究成果を公表するもの、ということである。とにかく関西大学にはすばらしい蔵書があまたある。また、鬼洞文庫、中村幸彦文庫、長澤文庫、長谷川貞信コレクションがある。大坂の風俗・文化・文藝を研究するのにもってこいの資料群である。その中から選りすぐりの112点が展示される。その質量に圧倒された。
副題の通り、名所・芝居・花街の3部構成となっている。
まず名所。私は、いま「まなびや懐徳堂」という講座で『摂津名所図会』を読んでいるので、まさにタイムリー。とても勉強になった。まずは大岡春卜の「浪花及澱川沿岸名勝図巻」がいきなり登場。見たことなかったすばらしい大作である。松村景文ら五人の合作になる風景図も珍しい。岡田半江の「大川納涼図」に続いて、豪華絢爛な屏風が目に飛び込んでいる。「浪花名所図屏風」。『摂津名所図会』との関係が解説で示唆されていた。メモメモ。それ以外にも、大坂略図の便利そうな「なにわめぐり」、「三十石登船便覧」、「天神祭十二時」など興味深い資料が続々と展示されている。中尾和昇さんが解説の多くを担当。
続いて芝居。ここは北川博子さんの独壇場。芝居番附、絵尽くし、役者評判記、一枚刷り、絵入根本、役者絵、芝居絵、とりわけ貞信の錦絵。じっくり見れば、上方の芝居関係の出版がかなり理解されるように構成、展示されている。関西大学のもつ資料だけでここまでできるのは、まことに素晴らしい。
締めくくりは花街。新町に関する資料といえば、『澪標』だが、それ以外にも、細見図、夕陽廓の賑、諸国色里値段附、廓で流行したすい言葉、そして特に充実しているのが、ねり物(遊女・芸妓の仮装練り歩き)に関する資料。新町だけではなく、島之内、北新地、道頓堀も。遊女名寄。そして関西大学図書館以外には知られていないという『艶女方言』。いやはや、見事な展示でした。
江戸時代の芝居・遊郭についての展示では、とくに浮世絵などは圧倒的に江戸が多いので、今回の展示、江戸時代の大坂を知るのに、実によかったです。

5月30日(土)まで、10:00〜16:00(入館は15:30まで)、休館は日・祝、ただし4月29日、5月17日は開館、入館料無料。
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2026年04月18日

老いと死のことば

鈴木健一『老いと死のことば』(岩波新書、2026年2月)。
鈴木さんも、老いを自覚される年齢になられたんだなあ、と妙な感慨。5部構成で、T老いていくこと U長生きを寿ぐ V人との別れ W死の瞬間 X死後を思う。表題にあるように、「かしらの雪」「老いらく」「おくれ先だつ」「あなや」「玉祭り」などのキーワードを手がかりに、和歌を中心に古代から江戸時代まで、多くの用例を引いて軽快に論じる。「老」「死」を話題にしながらも、どこか明るいのは、著者の人柄からくるものなのだろう。
「老い」も「死」も不安と背中合わせである。そして準備がむずかしい。前からではなく、背後からやってくる。自分のことも他者のことも。だからこそ、人はそれを歌にするのだろう。
 とりわけ「死後の世界」は未知で、不可測な世界である。それゆえに、宗教は死後の世界を様々にイメージとして提示する。冥界と此界の交通が、文学の大きなテーマとなる。「老い」と「死」を入口に古典文学の世界を味わってもらうという鈴木さんらしい、読みやすい新書である。
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2026年04月17日

オフコース「さよなら」偏解ー『歌う日本語』に寄せて

田窪行則編『歌う日本語』(文学通信、2026年4月)という快著が出た。これは楽しいこと極まりない本である。僕らが愛唱してきた歌謡曲を対象に、専門家がさまざまな切り口で歌詞を研究しているのである。
どの論文を読んでも興味深い。説明するより読んでちょうだい!と言いたくなる。
ところで、冒頭には、竹内まりあ「駅」の有名な「わたしだけ愛してた」歌詞論争が引かれている。それで、院生のころオフコースの「さよなら」の歌詞の一節で議論があったことを思い出した。
「僕の代わりに君が
今日は誰かの胸に眠るかもしれない」
これ、この本でやってほしかったな。誰か正しい解釈を教えて、とつぶやいたところ、反応がありました。
あかねさん…「僕の代わり」の「誰か(僕以外の他の人)の胸に」「君が」「眠るかもしれない」、ということなのでは、と今は思っています。
そしてなんとこの本の編者である田窪先生からも、
「誰々のかわりに」は、主語指向、目的語指向の両方が可能です。「俺のかわりにお前が行ってくれ」「俺のかわりにお前を殺すと言ってる」「所有格」指向も可能のようです。「俺のかわりに、お前の胸に抱かれたいと言ってる」なので、ここでは「誰か」と結びついてるんですね。
つまり、あかねさんと同説である。たしかに院生のころの論争でも、そのあたりに落ち着いたような気がする。しかし、どうも何かまだ違和感がある。
ちょっと歌詞をあげて説明したいところですが、著作権問題があるので、むずかしい。
この歌、どうも最初に別れのシチュエーションがあり、「僕」は「君」を振るように聞こえる。「私は泣かないから このままひとりにして」と言っているので。一方「僕らは自由だね」ってかつて言っていたよね。別れのことは想像もせずに、なんて歌詞が続きます。問題は、2番?の最初です。
「愛は哀しいね
僕の代わりに君が
今日は誰かの胸に眠るかもしれない」
「君が」のあとで、歌は切れます。1秒くらいの空白がある。これが、解釈を「僕」の代わりに「君」が、と、つまり主語指向で解釈したくなる大きな要因。しかし、

解A 「僕が誰か(Aさん)の胸に眠る代わりに、君が誰か(Aさん)の胸に眠るかもしれない」 この歌の状況から考えて無理な解釈。

解B 「(君が)僕の(胸に眠る)かわりに、君が誰か(Aさん)の胸に眠るかもしれない」

歌の状況を考えると文章はやや不自然だが、解Bの方が適当であろう。あかねさんと田窪先生の解釈はそういうことだよね。

しかし、私はそれが適解と実は認めつつも、そう解釈したくないのである。
第一に、前述のように歌は、「僕の代わりに君が」ではっきり切れる。歌を聴いている限り、ぼくではなく君が、と捉えるのが自然であるから。 
第二に、僕と別れた「君」が、僕ではない誰か(Aさん)の胸に眠ることはありうるけど、@から推すと別れを切り出したのは「僕」であり、「僕」こそ他の誰か(Bさん)と寝ているかもしれないくせに、それを棚に上げて、「君」が他の誰かと寝ていることを想像して「愛は哀しい」などというのは、ちょっとひどい自己弁護のように聞こえて許容できないのだ。@によれば「君」は「このままひとりにして」と言って別れに耐えていて、そのあとの歌詞によれば、寄り添って歩くのが好きだったというくらい「僕」をしたっていた。それなのに「君」が他の「誰か」(Aさん)と寝ることを妄想して「愛は哀しい」だと?と突っ込まざるを得ない。他の誰か(Bさん)と寝ているのはむしろ「僕」じゃないのか?作詞者がどういうつもりで作ったかは問わず、ここでは一読者として、解2は「とりたくない」。この歌詞にあるように、どう解釈するかについて、「僕らは自由だね」。

というわけで解Aでも解Bでもない偏解Cを示したい。

愛は哀しいね。僕の胸には君ではない誰かが眠るかもしれない、その代わりに君が、今日は僕ではない誰かの胸に眠るかもしれない。

「僕らは自由だね」といつか話したことが、現実になってみると、愛はなんて哀しいのかが、実感できる、そういう読み方である。これが正解とは思わない。偏解である。しかも現象としてはあかねさんや田窪先生の解と同じで、「君」は「僕」ではない他の「誰か」と寝ていると想像しているのである。ただ「代わりに」は「僕(の胸)の代わりに誰かの胸」とは取りたくない。「僕のかわりに君が」ととりたいのである。
そして「今日は」も重要。これは別れから、しばらく時がたった状況であり、「僕」が他の人を愛してしまって、「君」に別れを告げたが、しばらく時がたつと、「君」も「僕」から心が離れている(かもしれない)のである。この状況が、「愛は哀しいね」なのである。
もっとわかりやすくいえば、〈僕の心が君から離れる、しばらくすると君の心も僕から離れる〉、それが「愛は哀しいね」ということである。
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2026年04月10日

近松寸言

 大橋正叔(ただよし)先生の『近松寸言』(文化資源社)が、定価0円(非売品)として刊行された。122ページ。奥付は2025年12月。先生は1943年生まれで、今年83歳になられるが、ある時から、近松作品を読み直し、梗概を筆記してきたという。その副産物が本書だという。「気の利いた詞章がそれとなく置かれている」、そして「近松のことばが今も生きていると確信した。
 その気の利いたことばが発せられる場面を解説し、大橋先生のコメントを付す形である。なかなか面白く、含蓄があり、大橋先生のコメントも面白い。
すこし引用してみよう。

 恋しゆかしは迷ひのはじめ、会ひたさ見たさは輪廻の業。
 貴賤と親疎を論ぜぬを花の習ひと聞くものを。
 誠や花は其の主の心の色に咲くとかや。
 善と悪との道二筋、一足の踏み違へ。
 ないことさへ言ふ世のさがなさ。
 死なふ/\と思ふより生けふ/\と思ふのが年寄りはなを苦しいぞや
 とかく人の親には病と成も子の心、薬と成も子の心

多くは時代物から引いている。そして親子にまつわるものがとても多い印象である。現代にも通じる箴言の数々。
今、本として多く残っているのは圧倒的に時代物である。なぜ残ったのかを考えると、やはり「教訓」として読まれていたのだろうと思われる。現代でもそうだが、生きることは簡単ではない。「生きようと思う」のが苦しいのだ。だが生きなければならない。そんな時、人は近松をはじめとする時代浄瑠璃の、身につまされた場面を、これらの詞章とともに思い出したのではないか。そして、それは今に通じる普遍性を持つ。近松が古典たりえている理由であろう。
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読本研究新集17

『読本研究新集』第17集(2026年3月)が届いた。読本というジャンルの研究論文だけで、17集も続けられているというのは、読本研究が次々に世代を越えて受け継がれてきている証左であり、素晴らしいことである。思えば、横山邦治先生が『読本研究』を広島の地で立ち上げ、奇しくも本集に揃って寄稿されている服部仁さん、大高洋司さん、木元さんら、当時の若手が毎号寄稿することで読本研究を盛り上げたこと、まことに大きな貢献であったと思う。この雑誌が、読本研究者を育ててきたと確言できる。『雅俗』『鯉城往来』『東海近世』『研究と評論』『上方文藝研究』『俳文学報』『叢』・・・と挙げていけば、研究同人誌なくして若手の育成はないと言っても過言ではないなあと思う。というわけで、そのお三方に、藤沢毅・田中則雄両氏を加えたベテラン勢の活躍が目立つ本集であるが、岩邊有里奈・小林俊輝の若手お二人も力作を寄せている。
 巻頭の岩邊論文『垣根草』第十二話「千載の斑狐一条太閤を試むる事」における問答の典拠と主題」は、私が校訂代表である『前期読本怪談集』(国書刊行会)を使っていただいており、また私の『垣根草』論を引用もしてくだっていて、ありがたく、面白く拝読した。学問的な問答を面白く叙述している、私のことばでいえば〈学説寓言〉の一篇である。ただ、私の造語である〈学説寓言〉の語は慎重に忌避していらっしゃるが、それでよいのです。批判なりしていただくと、前期読本研究をもっと前に進められると思うので、機会があればお願いします。
 本論は「主題」として、狐が典拠通りとはいえ殺されてしまうことから、「知識に偏り、御論において他者を打ち負かすことを目的とするような知識人の傲慢さへの自己反省が本話には込められているとも受け取れる」つまり「学説を寓意に持つと同時に、学者・文人の教養主義を相対化している作品でもあると考えたい」という。学問への偏りを風刺するというのは、浮世草子や談義本に見られるものであり、それらとの繋がりも確かにあるだろう。ただこの書き方は微妙で、読者はそう受け取る余地がある、そう読めるという言い方で、作者がそれを目指したという言い方ではない。そこはあえてそうしたのだろうか?それと関わるが、本論文のタイトルは「寓意」ではなく「主題」である。「寓意」と「主題」は似ているが、なぜ「寓意」と言わずに「主題」という語を選択したのか。もし意味があるのなら、そこは重要だと思う。機会があればご教示いただきたい。
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2026年03月24日

古文と漢文

田中草大さんの『古文と漢文―書き言葉の日本語史』(ちくま新書、2026年3月)を読んだ。SNSで知って「これは読まねば」と購入。田中さんの『卒論修論一口指南』(文学通信)も感心して読んだのだが、こちらは何しろ、私が司会をつとめた2019年1月に明星大学で行われたシンポジウム「古典は本当に必要なのか」(略称「こてほん」)が、「着想の発端となった」本なのである。これは読みたい。
 「あとがき」に書かれているように、本書の基となった京都女子大での公開講座の講演録を読み、その明快な論理に感銘したことがある。田中さんは日本語史を専門とされている。そして本書では「古文や漢文を学ぶことの意義」とか「なぜ古文・漢文を学ぶべきなのか」ということを一切書かないと宣言している。古文漢文必要論にならないよう注意深く叙述している、というよりも、実際、古文学習の意義や必要性について、田中さん自身、主張しようとする立場に全然ないのである。むしろ、そう思われることを極力避けようとしていると言った方がよい。
 目的は、古典不要論論争の前提となるべき、「古文とは何か」「漢文とは何か」について、論者たちの認識が共有されておらず、議論が噛み合っていないという観察から、それを明示しようとするものである。実際、古典必要派とて、「古文」「漢文」を正確に定義できているわけではないと思う。田中さんは、あえて不要派(あるいは好きではない派)を読者に想定して本書を書いたという。
 では「古文」とは何か?それは実に明快に説かれている。それはその文章の書かれた時代が古いか新しいかで決まるのではない。〈古い文法〉に則って書かれた文章である。その結論にいたる道筋が実にわかりやすいし、そここそが本書の読みどころである。実際に本書を読んでほしい。
 また「漢文」についても同様に明快に説かれている。「漢文」といっても、それは「日本の古文」の表記方法のひとつである、ということである。ここでもその結論ではなく、そこにいたる道筋の説明が大事で、そこをこそ読まねばならない。
 田中さんは学部時代、大阪大学に在学。英語学で卒論を書かれたようである。どうも私の授業もパンキョーで受講していたらしい。その後、国語学に転向し、現在は京都大学で教鞭をとっておられる。今回の本は、古文・漢文について議論するなら、まずこの本を読みましょう!と、お勧めできる、「学校では教わらない古典学習の「入門」書」(帯)である。「こてほん」は、いろいろと批判もされたが、「こてほん」がこの本を生むきっかけになっているというのなら、やはりあのシンポは「やってよかった」と思うことができる。
 
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2026年02月26日

中嶋隆『小説史の十七世紀論』

 中嶋隆さんの『小説史の十七世紀論』(ひつじ書房、2025年11月)。いただいて大分たってしまったが、数少ない「文学史」へのチャレンジ本として、私にとっては昨年度の一、二を争う重要本であり、必ず書きますと中嶋さんにもお約束していたのだが、こんなに延びてしまって申し訳ない次第である。
序章の初出は読んでいるし、感想をブログにも書いているが、単行本の序章として、あらためて読み直して、様々な刺激を受けた。
 「文学史」に関心があっても、実際に書くというのは大変である。複数で書いた「〇〇文学史」は、実は「文学史」ではないと思う。岩波講座の「日本文学史」はひとつの指標となっているだろうし、ある程度編者の「文学史観」が出ているとはいえ、中嶋さんのいう「文学史」とは違う。「文学史」は「個性」的でなければならないし、それは、従来にない史観を打ち出すということである。私はこれに共感する。私自身が構想した(だけにすぎないが)「仮名読物史」というのも一応そのつもりなので、共感するのである。「文学史」は「通史」である必要はない。史観に基づく叙述をしたものであれば「文学史」であろう。
中嶋さんは、「発展的文学史観に替わるパラダイムは何か、を追究する」のが目的であるという。
「出版メディアの成立した近世を「近代初期」と位置づけ、最終的には近代初期(近世)文学の様式が、天皇制がパラダイムとなった「近代中期(明治三十年代〜大正)に、ヨーロッパ文学の影響を受けつつ再生・展開される過程でいかに変調したのか、そういう視座から文学史を書きたい」という。
文学史を「個性」的にするためには、「作品を成立させた諸要因を多元化し、複数の通時軸から作品を位置づける必要がある。通時軸の多様な設定が、文学史の「個性」となる」。そして「通時軸をめぐる対話・論争によって、「今」が反映された文学史パラダイムが形成される。そうして初めて文学史の「個性」が、「今」という時代性に昇華するのだ」と。
 そこから、ひとつの事例として中野三敏先生の「西鶴戯作者説」の批判を行う。中嶋さんは次のように言う。「西鶴戯作者説」を唱えるなら「中野氏自身の通時軸を明示すべきだ」ったが、当初それは示されていなかった。ただ「西鶴戯作者説再考」(2014年)では、「現実の全肯定」「表現第一主義」「教訓と滑稽を第一義」という三点の通時軸が示され、それは評価できるが、この三点は作品解釈を通じた「読み方」であり通時軸としては妥当性を欠くという。「戯作」全般のなかに西鶴は位置づけられるからだというのであれば、文学史の問題としてそう主張し、論を展開すべきであると。
 ここで私見を入れるなら、中野先生は「そう主張」していたのではないか?たしかに中嶋さんのいうような「文学は文化構造を反映する」という考えはあまりなかったと思うが、通時軸(評価軸というべきか)としては雅俗のバランスの推移があり、それを「ひとこぶラクダ」の比喩で説いていた。中期がもっともバランスがよい時期であると。江戸時代を人の生涯に見立て、江戸中期を壮年期とした。その見方は江戸時代で完結しているため、「中世から」と「近代へ」という観点がないとは言えよう。それは「文学史」とは言えない、という批判はよくわかるが、中嶋さん同様「発展的文学史観」へのアンチテーゼであることは確かであり、このような言い方をすれば中野先生から叱られるだろうが「反=文学史」という「文学史」なのではないか?それは、明らかに個性的である。
中嶋さんは、中野批判が、小説史の座標軸を示そうという本稿執筆の動機となったと述べるが、中嶋文学史は、中野反=文学史に対して、もう一度文学史を建てる(反=反=文学史)ということであり、全体的にみると、それらは弁証法的に推移しているのである。
  閑話休題。中嶋さんは、座標軸を考察する視座として「メディア」「文化構造」を挙げる。そして座標軸(表現様式に関わる)は「現実再現」である。「文化構造」は、「経済的、社会的構造が文化に反映するという立場にたつ」ので、歴史社会学的方法に近そうだが、唯物史観を通時軸には設定しないと強調している。とはいえ、では「文化構造」って何?と問うと、それ自体の定義が明確ではないように思う。では自明の概念なのか?私は「文化構造」は自明の概念とは言えないのではないかと思うが。
 もっとも、中嶋隆さんの主張、すなわち「中世の文化構造は、メディアによって再編されて新たな文化構造となった」というのは理解できるし、その新たな文化構造は、近代の文化構造の先駆け、つまり近代初期といえるという論理もわかる。近代的といえる「均質化された知の共有」は、版本文化抜きにはない。パロディ文化もその文化構造の再編で説明できる。〈「俳諧的」の小説〉という奇矯な表現も、また同様である。
そして「現実再現」とは、リアリズムではない。そこにはリプレゼンテーションとルビが打たれている。「現実再現」は、現実の模倣ではなく表現の模倣として展開した、そこに近代初期の日本文学の大きな特徴がある。卓抜で個性的な文学史観である。そして、このあたり、金水敏氏の「役割語」の考えとリンクしそうで面白い、と勝手に思う。
思いがけず、長文になってしまった。その割にはかなり文章が乱れているが、書評ではなく、一読者の感想としてお許しいただきたい。おこがましいが、拙著『仮名読物史の十八世紀』と書名が近いので、ちょっと喜んでいたのだが、中嶋さんのスケールはとてつもなくでかいし、考察は広く、深い。逆に書名が似ているのが恥ずかしくなってしまう。しかし、あの中嶋さんの目配り(俳諧・演劇・絵画・和歌・・・)は必然なのだった。「小説史」と名乗っているけれども、いわば「表現史」である。それができるのがまたすごい。考えてみたら、俳句も実作されるし、小説も書かれるのは、この「個性」的な文学史観と無関係ではなさそうである。あらためて敬服の意を強くしたのである。
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