田中草大さんの『古文と漢文―書き言葉の日本語史』(ちくま新書、2026年3月)を読んだ。SNSで知って「これは読まねば」と購入。田中さんの『卒論修論一口指南』(文学通信)も感心して読んだのだが、こちらは何しろ、私が司会をつとめた2019年1月に明星大学で行われたシンポジウム「古典は本当に必要なのか」(略称「こてほん」)が、「着想の発端となった」本なのである。これは読みたい。
「あとがき」に書かれているように、本書の基となった京都女子大での公開講座の講演録を読み、その明快な論理に感銘したことがある。田中さんは日本語史を専門とされている。そして本書では「古文や漢文を学ぶことの意義」とか「なぜ古文・漢文を学ぶべきなのか」ということを一切書かないと宣言している。古文漢文必要論にならないよう注意深く叙述している、というよりも、実際、古文学習の意義や必要性について、田中さん自身、主張しようとする立場に全然ないのである。むしろ、そう思われることを極力避けようとしていると言った方がよい。
目的は、古典不要論論争の前提となるべき、「古文とは何か」「漢文とは何か」について、論者たちの認識が共有されておらず、議論が噛み合っていないという観察から、それを明示しようとするものである。実際、古典必要派とて、「古文」「漢文」を正確に定義できているわけではないと思う。田中さんは、あえて不要派(あるいは好きではない派)を読者に想定して本書を書いたという。
では「古文」とは何か?それは実に明快に説かれている。それはその文章の書かれた時代が古いか新しいかで決まるのではない。〈古い文法〉に則って書かれた文章である。その結論にいたる道筋が実にわかりやすいし、そここそが本書の読みどころである。実際に本書を読んでほしい。
また「漢文」についても同様に明快に説かれている。「漢文」といっても、それは「日本の古文」の表記方法のひとつである、ということである。ここでもその結論ではなく、そこにいたる道筋の説明が大事で、そこをこそ読まねばならない。
田中さんは学部時代、大阪大学に在学。英語学で卒論を書かれたようである。どうも私の授業もパンキョーで受講していたらしい。その後、国語学に転向し、現在は京都大学で教鞭をとっておられる。今回の本は、古文・漢文について議論するなら、まずこの本を読みましょう!と、お勧めできる、「学校では教わらない古典学習の「入門」書」(帯)である。「こてほん」は、いろいろと批判もされたが、「こてほん」がこの本を生むきっかけになっているというのなら、やはりあのシンポは「やってよかった」と思うことができる。
2026年03月24日
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