『読本研究新集』第17集(2026年3月)が届いた。読本というジャンルの研究論文だけで、17集も続けられているというのは、読本研究が次々に世代を越えて受け継がれてきている証左であり、素晴らしいことである。思えば、横山邦治先生が『読本研究』を広島の地で立ち上げ、奇しくも本集に揃って寄稿されている服部仁さん、大高洋司さん、木元さんら、当時の若手が毎号寄稿することで読本研究を盛り上げたこと、まことに大きな貢献であったと思う。この雑誌が、読本研究者を育ててきたと確言できる。『雅俗』『鯉城往来』『東海近世』『研究と評論』『上方文藝研究』『俳文学報』『叢』・・・と挙げていけば、研究同人誌なくして若手の育成はないと言っても過言ではないなあと思う。というわけで、そのお三方に、藤沢毅・田中則雄両氏を加えたベテラン勢の活躍が目立つ本集であるが、岩邊有里奈・小林俊輝の若手お二人も力作を寄せている。
巻頭の岩邊論文『垣根草』第十二話「千載の斑狐一条太閤を試むる事」における問答の典拠と主題」は、私が校訂代表である『前期読本怪談集』(国書刊行会)を使っていただいており、また私の『垣根草』論を引用もしてくだっていて、ありがたく、面白く拝読した。学問的な問答を面白く叙述している、私のことばでいえば〈学説寓言〉の一篇である。ただ、私の造語である〈学説寓言〉の語は慎重に忌避していらっしゃるが、それでよいのです。批判なりしていただくと、前期読本研究をもっと前に進められると思うので、機会があればお願いします。
本論は「主題」として、狐が典拠通りとはいえ殺されてしまうことから、「知識に偏り、御論において他者を打ち負かすことを目的とするような知識人の傲慢さへの自己反省が本話には込められているとも受け取れる」つまり「学説を寓意に持つと同時に、学者・文人の教養主義を相対化している作品でもあると考えたい」という。学問への偏りを風刺するというのは、浮世草子や談義本に見られるものであり、それらとの繋がりも確かにあるだろう。ただこの書き方は微妙で、読者はそう受け取る余地がある、そう読めるという言い方で、作者がそれを目指したという言い方ではない。そこはあえてそうしたのだろうか?それと関わるが、本論文のタイトルは「寓意」ではなく「主題」である。「寓意」と「主題」は似ているが、なぜ「寓意」と言わずに「主題」という語を選択したのか。もし意味があるのなら、そこは重要だと思う。機会があればご教示いただきたい。
2026年04月10日
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